月別アーカイブ: 2006年2月

高い集中状態に入るタイミング

本日の仕事への集中力は凄いものがあった。おそらくここ何ヶ月で一番の集中だったであろう。わずらわしいトラブルや会議が無かったこと、「ウェブ進化論」を朝の電車で読み終えてその気(どんな気だ)になっていたこと、加えて体調的な要素もあったであろう。

このような高い集中状態を意図的に生み出すことは難しくとも、集中力が高くなりそうなタイミングを知ることが出来ればハイパフォーマーへの道が拓けるというものである。コーディングに一心不乱になったときの開発者、そのとき脳はどんな働きをしているのだろう。識者が居るなら聞いてみたいものである。いっちょ人力検索してみるか。

村上春樹「やがて哀しき外国語」

やがて哀しき外国語

やがて哀しき外国語

村上さんのエッセイは大分読んでいるのせいか、どこかで聞いたことがある話が多かったように思う。でもそういう意味では村上さんらしさ溢れる一作であるとも言えるのではないか。

最近自分の中の「日本人的感覚」とでも呼ぶべきものを強く意識するようになった。外国に住むという経験(半年だけだが)の中で、日本人的感覚に気付き、ある意味嫌悪し、諦め、そして誇りを持つという段階を経てきた。村上さんのようにもっと長きに渡って日本人的感覚が通用しない世界に属していると、どのように日本人的感覚への想いが変遷していくのか。本著を読みながらそのような疑問を持った。

マラソン大会のアンケートの話は爆笑でした。

梅田望夫がブロガーと語る「ウェブ進化論」第二部

2006-02-07で公開されているポッドキャスティングの第二部を聴きました。

結局今後はSNSなりWEB2.0的な新サービスなりをどのようにお金にしていくのか?というところにみんな関心があるし(知的な関心も含めて)、探っているんだなというところが議論を聞いた感想でした。

梅田さんが「Googleの次に来る流れが会社なのか分からない」というコメントを残されていたが、ネットの世界の傍観者の一人として「世の中の役に立つ」ということと「会社として儲ける」ということの関連性がどんどん希薄になっていっている印象を強く持つ。テレビやラジオを作って売っていた時代と比べれば隔世の感があるだろう。社会貢献の出来る会社を起業したいとか、そういう会社に入りたいという若者のキャリア選択は今後さらなる困難を極めるだろう。

以下の梅田さんのコメントが印象的でした。

  • マクロで社会の流れを見て、その流れに対してコレクトな会社に投資しても上手くいったためしがない
  • Google、Amazon、eBay、Yahoo!の列強にWEB2.0スタートアップは飲み込まれてしまうのか?小さなIPOをするのか?Googleに代わる企業はしばらく出ない
  • Googleの次は本当に会社なのか?そこに確信が持てない

ジュリービック「私がマイクロソフトで過ごした日々」

私がマイクロソフトで過ごした日々―敏腕マネージャーたちのベストプラクティス (Ascii books)

私がマイクロソフトで過ごした日々―敏腕マネージャーたちのベストプラクティス (Ascii books)

三十分弱で一気に目を通した。マイクロソフトで実際に働く社員による「ビジネスで心がけるべきこと」が記載されている。

どんな大きな仕事でも一人の責任者を指名すること

自分も常日頃から同じようなことを心がけている。本書では「誰かがやるだろう」というお見合い現象を防ぐための施策として挙げられているが、私は意思決定のスピードを増すために有効だと考えている。

批判されても「個性」なら変えない

金言だと思う。

小室直樹「日本国民に告ぐ」

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

著者の幅広い教養、高い論理性には目を見張るものがある。そういったものに裏づけされた文章というのはそれだけで価値がある。

内容も「日本国民なら一度は」とお薦めしたいと思わせるもの。特に敗戦直後の日本に何が起こったのか、という問いに対する著者の分析は鋭い。

ハードウェアの進化に関する議論は?

2006-02-07<梅田望夫がブロガーと語る「ウェブ進化論」ポッドキャスティング>]の第一部、「これからのメディアについて」のパネルディスカッションを聞かせて頂いた。本当は実際にディスカッションに参加したいと考えていたのだが抽選に漏れてしまった(まあ私自身ブロガーという訳ではないので当然の帰結なんですが)。

という訳でブログでの議論には十分に参加させて頂く為、ブロガーになってみることにする。

早速第一部を聞いた個人的な感想を述べさせて頂くと「ハードウェアの進化に関する言及」が一つも無かったことに寂しさを感じた。いや、いまさら「ハードウェアの進化」なんて口にすると「いつの時代の議論だ」なんて言われてしまいそう。だけど「既存メディアをウェブが飲み込む可能性」について考えるとき、ハードウェアを含む「ウェブから情報を取得する為のインフラ」については無視できない。なぜならば新聞・雑誌というメディアには持ち運び易い、見易いという「物理的な優位性」があり、その優位性はとてつもなく大きいと考えるからだ。

だって電車の中でウェブ見れないし。ノートPCの持ち運びは大変だし。壊れたらやだし。梅田さんの言ってた既存メディアとウェブの使い分けより、物理的な制約によって「半強制的に使い分けせざるをえない」っていうのが世間一般の感想かなと思う。僕も電車のなかではてな見たりしたいとは思うんですが、フレックスタイムをフルに活かして大学生の頃のような出勤スタイルにしないと電車でウェブするのは難しいだろう(ああ、あの頃は良かったなぁ)。だからウェブの世界が既存メディアにグッと迫ってくるのは、ハード面での進化がいまより進歩したときなんじゃないでしょうか?紙のようなディスプレイ、超高機能PDA、とことん軽くて丈夫なノートPC、そんなもの達が世の中変えてしまうんじゃないかと単純に考えています。少なくとも僕が既存メディアからウェブの世界にグッと寄っていくのはそういうタイミングであろうと思います。こういうことを考えていると「Appleがこのパラダイムシフトの主役になるのではないか」という仮説まで考えることが出来たりする。こういうのは思考実験として非常に有意義だ。

話が少し脱線しましたが、「既存メディアの淘汰」について考えるなら「ハードウェアの進化」についても考えるべきだろう。電車で、トイレでウェブから情報を取得できるようなインフラ、ハードウェアの開発・普及にどの程度の時間がかかるのかなんてまったく分からないが、少なく見積もっても今後20年以内なんて話になってしまいそうだ。