ハードウェアの進化に関する議論は?

2006-02-07<梅田望夫がブロガーと語る「ウェブ進化論」ポッドキャスティング>]の第一部、「これからのメディアについて」のパネルディスカッションを聞かせて頂いた。本当は実際にディスカッションに参加したいと考えていたのだが抽選に漏れてしまった(まあ私自身ブロガーという訳ではないので当然の帰結なんですが)。

という訳でブログでの議論には十分に参加させて頂く為、ブロガーになってみることにする。

早速第一部を聞いた個人的な感想を述べさせて頂くと「ハードウェアの進化に関する言及」が一つも無かったことに寂しさを感じた。いや、いまさら「ハードウェアの進化」なんて口にすると「いつの時代の議論だ」なんて言われてしまいそう。だけど「既存メディアをウェブが飲み込む可能性」について考えるとき、ハードウェアを含む「ウェブから情報を取得する為のインフラ」については無視できない。なぜならば新聞・雑誌というメディアには持ち運び易い、見易いという「物理的な優位性」があり、その優位性はとてつもなく大きいと考えるからだ。

だって電車の中でウェブ見れないし。ノートPCの持ち運びは大変だし。壊れたらやだし。梅田さんの言ってた既存メディアとウェブの使い分けより、物理的な制約によって「半強制的に使い分けせざるをえない」っていうのが世間一般の感想かなと思う。僕も電車のなかではてな見たりしたいとは思うんですが、フレックスタイムをフルに活かして大学生の頃のような出勤スタイルにしないと電車でウェブするのは難しいだろう(ああ、あの頃は良かったなぁ)。だからウェブの世界が既存メディアにグッと迫ってくるのは、ハード面での進化がいまより進歩したときなんじゃないでしょうか?紙のようなディスプレイ、超高機能PDA、とことん軽くて丈夫なノートPC、そんなもの達が世の中変えてしまうんじゃないかと単純に考えています。少なくとも僕が既存メディアからウェブの世界にグッと寄っていくのはそういうタイミングであろうと思います。こういうことを考えていると「Appleがこのパラダイムシフトの主役になるのではないか」という仮説まで考えることが出来たりする。こういうのは思考実験として非常に有意義だ。

話が少し脱線しましたが、「既存メディアの淘汰」について考えるなら「ハードウェアの進化」についても考えるべきだろう。電車で、トイレでウェブから情報を取得できるようなインフラ、ハードウェアの開発・普及にどの程度の時間がかかるのかなんてまったく分からないが、少なく見積もっても今後20年以内なんて話になってしまいそうだ。