米国産牛肉に特定危険部位である脊柱が含まれていたというのに、相変わらず米国は強気の姿勢を崩さない。大概の日本人がおそらく感じていると思われる嫌悪の感情を、僕自身も禁じえないというのが正直なところ。しかしトヨタ自動車がGMやフォードに少なからぬ気の遣い方をしているのが日本人らしいように、今回の件は非常に米国らしいというか米国の文化なのである。だから結局この嫌悪感も、文化のすれ違いから生じる違和感が本質としてあるに違いない。
一方で僕は米国のこの姿勢に羨望の眼差しも向けてしまう。自国の国益の為に誇りを持って闘う米国の高官達を見ながら「日本の政治家や官僚がこうだったらな〜」と考えてしまうのもこれまた正直なところである。靖国をはじめとする中韓との問題にしても、アザデガン油田開発の問題にしても、この姿勢の一割でも良いから日本の外交に取り入れてみませんか?なんて思ってしまったり。あ、なんか偉そうなこと言っちゃったかも。ちょっと話を脱線させよう。
「文化」という言葉を使いましたが、ある集団(例えば国とか会社とか)が「ある事象に対してある反応をすること」を「ああ○○国らしいなぁ」とか「ああ、あの会社がやりそうなことだよね」とか話すことがありますよね。それってその集団がどういう文化を持っているかということで決まってくるんですが、面白いことにその集団からある一人を抽出して「ある事象」に対峙させたとき、「ああ○○国人らしいよね」とか「さすがあの会社の社員だよね」とかそういう反応を見せるとは限らない。いや、むしろしない気がする。つまり集団の行動特性と、その集団に属する個人の行動特性とは違うものというのが僕の仮説。今回の牛肉輸入の問題に関しても非常に米国らしい行動を見せたと思いますが、それは米国民という集団らしい行動であり、米国人らしい行動とは言えないと思う訳です。この辺、その内組織論的な視点からもう少し詰めたいです。