先日大切な友人の二人が結婚をした。親友と呼べる数少ない人間の内の二人である。一方は彼らしく、楽しく和やかな結婚披露宴が催された。もう一方も彼らしく、静かに二人で籍を入れただけだった。
さて自分も既婚者であるが、結婚とは一体何であろうかと考えることはないだろうか?
誤解を恐れずに言えば、それは「婚姻届を指定の役所に提出すること」である。ただそれだけ。少なくとも我が日本国ではそのはずだ。結婚の「定義」はそれ以上でもそれ以下でもない。よく使われる表現だが「紙切れ一枚」というやつである。こう言い切ってしまうと寂しいし、世の女性達からブーイングが聞こえてきそうである。だが「定義」としての結婚は、やはりそういうことになるだろう。
ただ僕も含めて、人は「結婚」に何かしらの「意味」を見出そうとする。「定義」と「意味」は違うものであると思う。そして大抵の場合、その「意味」は「新しい命を生み、育てること」となっていく。ただ今回、子供の話は外して考えたい。「出産」や「育児」は「結婚」よりも相当に大きな「意味」を持ってしまいそうだから。
僕個人としては「配偶者(家族)への貢献の為に、社会への貢献の可能性を捨てること」が結婚の本質なんじゃないかな、と考えている。もちろん捨てるといっても0%になるまで捨てるわけではないが、少なくとも「自分が世に対して出来ること」を100とすれば、その内60とか70とかを家族の為にする、つまり30から40しか他者の為に貢献しない、ということだ。そしてこの配分は非合理的に行われなければならない。非合理的に行うとはどういうことかと言うと、簡単に言えば「100人の他者の命より、1人の家族の命」ということ。Mr.Childrenの歌に「HERO」という歌がある。本当は違うのかもしれないけど、初めて聞いたときから「あ、これって結婚の歌じゃないかな」と思っている。以下の歌詞が、僕の結婚観と一致したからである。
例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
孤独であれば、その身を世界の為に投げ出せるかもしれない。世界中のHEROになれるかもしれない。ただ結婚をした以上、家族の為だけのHEROにならなければならない。そしてそれは、世界のHEROになる可能性を捨てることを意味する。「つまることそれが結婚だろう」と僕は思っているわけだ。
「何もそんな事言わんでも」と思われる方もいると思うが、上記はあくまで極端な例です。小さなレベルでは、こういう判断を日々しながら皆さん生きているはずだ。ただあまりにも小さなことの連続であるので、それについて考えない内に目の前を通り過ぎてしまっているのかもしれない。だけどいつか大きな判断を迫られるときが来るかもしれない、だからこういうことについて考えておくのはきっと有益だと思っている。そしてそういうときは極端な例を使うと答えが分かり易いものだ。
勿論これは僕個人の結婚観であり、人の結婚観は様々だと思う。あなたにはあなたの結婚があって当然だと思う。結婚とは何か、その問いに答える為に結婚する、というのもまたありだろう。してみなけりゃ分からないことが世の中にはたくさんあるからね。Let’s give a shot!
最後に余談になるが、僕は「結婚披露宴」というものが好きである。葬式を別とすれば、あそこまで誰かの人生が集約される場はないであろう(有名人だったら「波乱万丈」とかでまとめてくれるかもしれないけど)。それを見ているだけで滅茶苦茶面白い。僕はだから、披露宴では新郎新婦よりも、ご家族や他の友人、会社の同僚なんかを見ていることが多かったりする。そうするとそいつの人生の縮小図が見えてくるようである。だから誰の披露宴に行っても必ず楽しい。でもあんまり呼ばれ過ぎてもご祝儀払えなくなるけど…
以上、長くなってしまったが、とくにかく二人の友人にはおめでとうと言いたい。いつか子供でも連れて、二世帯カラオケに挑戦したいものである。