あっちでもこっちでもメディア批判。マスメディアが好きな人なんて誰もいないように見えるのに。でも批判されているような記事を書く動機ってのは、そういう記事が好きな人が一定数以上いるからなんだよね。
週刊文春が、権力の不正を暴くことがなくなって、
ゴシップ記事ばかり扱う三流以下に成り下がったことは世間では周知のことだけど、
いよいよ三流以下の死に体週刊誌になっちゃったね。
いきなり本題から外れるのだが、橋下弁護士は文章だと圧倒的に面白い。やっぱりお笑いやトークって「何をしゃべるか」よりも「どうやって喋るか」で面白さが決まってくるんだと実感する。たぶん「間」とか「タイミング」とか呼ばれるものに対するセンスが鍵を握っているんだろう。これって先天的なものなのかな、橋下弁護士は残念ながら…なんですけど、文章を読めば彼の知的レベルの高さとユーモアのセンスは分かります。
週刊文集とのごたごたでヒートアップ気味の橋下さんが話題になっているこのブログだが、今回の件ではむしろブログという「自己メディア」を持つことの意味みたいなものを感じさせられる。だってそうだろう、橋下弁護士がもしブログを持っていなかったら、ここに書いてある内容はテレビで独占三十分枠でも貰わない限り、僕らの元に届かなかった訳だ。
似たような事例を挙げてみると、
古川 亨 : ブログ(なぜかリンクの記法が上手くいかない)
http://furukawablog.spaces.msn.com/Blog/cns!156823E649BD3714!4743.entry
日経BP社のネット媒体ITPro Windwos Windowsに私のインタビュー記事が出ています。過去25年の間に色々なインタビューを受けて、色々な媒体の取材に協力してきたのだけど、今回の記事は呆れたというよりも本当に残念です。 一応リンクを張りますが、読む前に古川本人から一言、この記事に書いてある見出しや本文を私が語った言葉とは信じないでください、とまずお断りをした上で…どうぞ
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060704/242535/
先ほどの徹さんからは怒りが感じられたが、こちらの亨さんからは失望が感じられる。ビル・ゲイツ引退に関して求められたインタビューを受けたところ、記事の内容がまったく意図したものではなかったということらしい。実にマスコミがよく使う手である。
マスコミはインタビューなどする前から、報道する内容は決めているようなものだ。内容が決まっているのに取材なんかするものだから、その決まっている内容に従ったものしか見えないし、見えても使わない。そしてその内容っていうのはどういう基準で決まるのかというと、結局一番金になる記事、つまり下世話な記事ということになる。
こういった話をしていると、公共放送や公共新聞の重要性が認識されるが、少なくとも僕がNHKの取材に関わったときの感想は「NHKでもこんなものか」だった。視聴率を競う必要などないと思われるNHKだが、最近の紅白歌合戦の下世話さ加減を見ていると、どうやら彼らも視聴率という悪魔に憑かれているみたいですね。
なんにせよ、有名人の皆さん、自己メディアと自分の主張を表現するための筆力を持ちましょう。