渡部昇一「知的生活の方法」

知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

日本近現代史についての論客というイメージが強かった著者だが、こんな本を書いていて、しかもベストセラーになっていたなんて知らなかった。

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とにかく「本」。著者の読書や本に対する、拘り、愛着、自信、哲学、方法論、遍歴を一纏めにした書籍である。これがめっぽう面白く、読書好きの人間なら間違いなく楽しめる内容となっている。読書をあまりしないという方も、読書をする人は何を求めているのか、を垣間見る為に読んでみるのもいいかもしれない。

「知的生活って読書することなの?」という疑問が当然あるかとは思いますが、本書では別に「知的生活 = 読書生活」と断定している訳ではなく、例えば詩を書いたり、碁を打ったりというのも「能動的知的活動」として捉えている。しかしながら、やはり知的生活の根幹となる活動、源泉は「読書」だと著者は捉えているし、僕もそれには賛同する。僕はプログラミングが好きだし、それが能動的知的活動だと考えている。「ではそれと読書(技術書は別として)がどういう関係があるのか?」と問われれば答えに窮してしまうかもしれないが、「プログラミングという作業をしよう」、さらに言えば「それを平凡なものではなく、高度に知的な活動までレベルを高めよう」と考えるエネルギーの源となっているのは、やはり読書であるような気がする。知的活動をする上でのガソリンのような役割を果たしていると思える。

本書は僕が生まれる前の1976年に出版されているようだが、本書で危惧されているような「読書をしない大人」というのはやはり多く存在する感はある。僕は「漫画」という文化について否定はしないし、大人でも楽しめる漫画が多く存在することも承知しているが、やはり漫画しか読まない大人というのは、生理的にかっこ悪いと思ってしまう。読書によって人は語る言葉を持つし、形のない「教養」というものを持つための一要素として、読書は大きな意味を持つと思うからである。

著者の知的生活に対する拘りは、かるく常人のレベルを超えている為理解に苦しむ部分もある。特に「知的生活のためなら女房、子供も泣かす」、もっと言えば「必要ない」くらいの記述があったのには首を傾げてしまったが、著者レベルの知的生活を送ろうと思ったら書いてあることは事実であろうと思うし、簡単に「どっちも両立できる」などと書かれるよりはよほど好感が持てた。賛同は出来ないが。