板生清「コンピュータを「着る」時代」

コンピュータを「着る」時代 (文春新書)

コンピュータを「着る」時代 (文春新書)

昨日から風邪気味で若干朦朧としている。そんな体調の中で30分で読みきったので、エッセンスを取り違えていないか若干不安。

本書は読み物として大変興味深いという程ではないが、近々でユビキスタスという言葉で表される「身の回りにあるコンピュータ」がどの方向にどの程度進化しているかを知るには丁度良い書籍である。身に着けられるコンピュータ(ウェアラブルなコンピュータ)というのが本書のテーマだ。

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カラスの生態研究の為にカラスの体にコンピュータを仕掛けたことから話は始まるが、これと同じ技術、つまり小さな物体の中に精密技術を注ぎ込む技術が、社会貢献にどれほど役に立つのかについて本書では分かり易い例をもって説明されている。例えばそれは居眠り運転防止技術であったり、徘徊してしまった痴呆症の老人を見つけるための技術であったり、身体のデータを計測してくれる衣服であったりする。

上記で例示したように、本書で扱われる技術はほとんど「命を守るための技術」である。まあ言わば誰にでも親しみのある分野である。特に高齢者の健康維持や介護の為のウェアラブル技術は今後さらなる発展が望まれる分野だろう。ついでを言わせてもらえば、非効率極まりない日本の病院のシステム改革も同時に進めてもらいたいものだ。30兆円を上回る日本の医療費だが、ある程度いくつかの病院に通った経験を持つ人間なら、そのお金の何%が果たして無駄金なのかと訝るのではなかろうか。官公庁さえ正しく動けば、既存のITでそこはなんぼでもよく出来るはずだ。病院内を全てIT化したという話はいくつか聞くものの、我々患者が求めるのは病院、処方箋薬局、社会保険庁、市役所などを大きく統合した医療システムの登場である。

本質的な部分とはまるで関係がないが、「地球にやさしく」というような表現に違和感を感じるという著者のコメントになるほどと思った。確かにこの表現だと、地球よりも我々人間が上位を占めているかのようである。我々は地球という存在にやさしくされて今日まで生命を育んできた存在なのであるから、「地球にやさしくしつづけてもらうために」とでも言った方が適切なのかもしれない。

個人的な感想としては、本書で書かれているような技術が一般化し、誰しもがその恩恵を受けられるようになると、人間の平均寿命はまた確実に伸びるであろうし、それに比して子供が十分に生まれてこないようであれば、少なくとも日本は今よりもっともっと高齢社会化していくのだろうな、ということ。そうすると、一人の人間の寿命を延ばす技術よりも、国家としての寿命を延ばす技術、つまりは子供をもっと簡単に(と言えば御幣があるかもしれないが)生むことの出来る技術、もしくは子供の死亡率を下げる技術が望まれるのだろうなと思った。子供の安全の為の技術は本書でも扱われているので、興味のある方はどうぞ。