
不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)
- 作者: 長山靖生
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/12/13
- メディア: 新書
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タイトルに惹かれたのと、立ち読みで共感を感じたので購入。日本人は勤勉、本当か?
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個人的な感覚で言えば、欧米人に比べて日本人は勉強しない。まず間違いなく大学生同士を比較してしまうと負ける。僕はアメリカの大学生しかよく知らないけれども、まず間違いなく日本の大学生よりは勉強している人ばかりである。次に社会人。これもアメリカの社会人を一部知っているだけだが、やはり日本人よりは勉強に精を出す人が多い。国のお陰で相当な廉価でコミュニティーカレッジの授業を受講できるなんていうことの違いもあるが、例えば若くしてリストラされた後、何かを集中的に学んで新しい技能を身につけ、レジュメに書けるポイントを作り、別の会社に再就職、なんてのはよく聞く話である。さらに驚くべきは、そのコミュニティーカレッジの授業には相当高齢の方も普通に参加してきているということ。彼らは新しく何かを学ぶことを趣味として捉えているのだと想像する。日本人よりも肉体的に元気だというのもあるかもしれないが、「学ぶこと」の意味がどこか決定的に違うんじゃないかとか思ってしまう。
筆者自体も学生時代は勉強をしていなかったようで、多くの大人がある時点で気付くように「勉強しておけば良かった」と四十代に差し掛かったところで感じている。そしてあくま子を持つで「当事者」として、「不勉強国家日本」についてゆとり教育、読書、倫理、論理的思考能力などの色々な視点から論じている。勉強はしていなかったものの、結構な読書家だったようで、内容は意外と難しいことにまで及んでおり、正直ナナメ読みをしてしまった箇所も多かった。
上述したが、「勉強をしておけばよかった」とか「あの頃もっと勉強ができていれば違った人生が」的な想いは大人になれば一度は持つものだろう。個人的にはそれが早ければ早いほどいいと思っている。単純な話、その時点からもう一度勉強するというリカバリー策が取り易くなるからだ。そしてきちんと勉強しておかないと、「勉強」というものが持つ意味も分からず、それに対する自分なりの哲学が出来上がらない。問題は、そういった想いを抱いた時点で「勉強」というものについて深く考える前に「子供には勉強させよう」と短絡的に考えてしまうことである。よく考慮もせずに塾や英会話教室に突っ込み、まったく成績の上がらない子供に対して嘆いている親は結構いると思う。自分がカウチポテトやってるだけなのに、子供は一生懸命勉強しろなんて世の中そう甘くはない。まず自分が一所懸命やってみることである。話は逸れてしまうけれど、個人的には子供を立派に育てる一番の方法は、自分、つまり親が立派な人間でいることだと思っている。