
- 作者: 石原慎太郎
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 単行本
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僕なんかが述べるまでもないことだが、石原兄弟に限らず兄弟や姉妹というのは不思議な関係を保てる間柄だ。そこには明らかに友人関係や恋人同士と違う何かが存在するし、友人関係や恋人同士に存在する何かが存在しない。つまりどんな兄弟関係も特別なのだが、やはり石原兄弟にはそれを超えた「特別な何か」が在ったように思えた。
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本書は兄である石原慎太郎氏による弟裕次郎との思い出を綴った回想録である。自由奔放な少年時代から、石原裕次郎という時代の寵児の基盤を作った青春時代、そしてデビューから一大スターへの階段を上った青年時代。裕次郎氏の側には常に兄の姿があり、そして肉体的な苦痛の日々があった。兄として、亡き父の代わりとして、作家と俳優という仕事仲間として、海という趣味を分かち合う友達として、常に兄弟は関わりあってきた。どちらかがいなければどちらかも成り立たなかったであろうこの兄弟が、それぞれに強烈な個性を発揮しているのは不思議なものである。
僕はまったく裕次郎氏が活躍していたという時代を知らないが、両親や年配の方から伝え聞く話だけでも当時の大人気振りが窺える。本書を読んでみれば分かるが、彼は生まれたときから石原裕次郎であったのであり、陳腐な言い方だが「スターの素質」というものが先天的に備わっていたのだ。いつか歌手の宇多田ヒカルさんを石原裕次郎氏に例えている記事を読んだことがあるのだが、「苦労してここまでやってきました」という清貧のオーラが無いと内容が書いてあった。そしてそこに他の人々は惹かれるのだと。確かにそうかもしれない。「苦労していない」というと御幣があるかもしれないが、「あたかも当たり前のようにそこに居る」というとニュアンスが伝わるかなと思う。きっと裕次郎氏はそういう存在だったのだろう。
同じ兄という立場として僭越ながら慎太郎氏に成りきってみると、おそらく本書を書くにあたって、色々と気付かされることが多かったのではないか。本書を執筆中に思い出したエピソードもあったであろうし、当時の記録を調べてみて発覚した事実とか、自分がどのような気持ちで持って弟に接していたかとか、弟が周りの人間からどのように思われていたか等、改めて実感することが多かったのではないかと思う。そしてそれらの事柄を氏の中で整理できたのではなかろうか。弟を先に亡くしてしまった兄として、この本の執筆はおそらく必要なことであったのだろう。