日本はイノベーションの弊害を受け止める度量を持て

Winny判決で再度実感した訳なんだけど、日本という国はほんとイノベーションを起こすのに向いていない国だ。それはなぜかというと、結局「イノベーションが起こす弊害」を許容する度量がまるでない。既得権益がどうとか従来の産業構造がどうとかそういう分析もあるんだろうけど、結局「何か悪いことが起こるくらいだったら今までと同じやり方でいい」的な空気がどうも蔓延している。

—–



とはいえイノベーションを起こしたいとは思っているようだし、新しい産業を生み出したいとかそういう思いもあるようだが、結局いいとこどりというか「イノベーションを起こして欲しいけど、現状も変えて欲しくない」みたいな矛盾した思いを抱えている輩が多く、「おいおいそれはイノベーションじゃねえぞ」と突っ込みたくなること多し。
あまり自分の会社の話は書きたくないと思っていたのだが、最近この日本の状況を象徴するような発言がうちの経営陣の口から出たので紹介。その発言者は、最近目の前の仕事を片付けることに躍起になっている社員が多く、物事を根本的に解決しようと動いたりとか、テクノロジーで遊ぶことによって技術力を向上させる人間がいないとか、まあイノベーションを起こすような考え方、行動が社内で見えないとかそんな意見を述べていて、それはそれで好ましい意見だと思ったし、社内で野球をするくらいの遊び心が必要とかそういうことを言っていて、ああそれはまるでGoogleみたいだね、とちょっと嬉しくなったりもしたんだけど、その話題が終わった直後、最近の社内の注意事項として「最近社内でサンダル履いて仕事しているけしからん社員がいる」との発言があり*1、「ああ、これは日本の縮図だね」と思ってしまって、何と言うかがっかり。そんな程度のことを規制もしながら遊び心を持つ文化が出来るとか、テクノロジー重視の会社が出来るとか、社内で野球やる自由さが生まれると本気で信じているようなのが悲しいというか、むしろ虚しかった。しかもそれがWinny判決の前日だったりしたもんだから、「ああ、日本ってイノベーションを起こすのに向いてない国なんだ」と識者なら何十年も前に出しているであろう結論をついに出してしまいました。
まあでも安倍政権じゃないけど愛国心は僕も持っているわけで、何とか日本発の素晴らしいイノベーションを見てみたいものだけど、まあそういうのが難しい国だっていうのは日本の愛するべき部分とも繋がっている訳で、まあそっちを取るのも良いのかな、とそういう気にもなってしまいます。
まあ結論付けると、弊害を受け止める度量がないならイノベーションなんて言葉は口にしない方が良いと思うこの頃なのでした。

*1:うちは開発者もスーツ着用の会社です。