月別アーカイブ: 2007年7月

マイケルルイス「ライアーズ・ポーカー」

ライアーズ・ポーカー―ウォール街は巨大な幼稚園

ライアーズ・ポーカー―ウォール街は巨大な幼稚園

著者の作品は以前にニュー・ニュー・シングマネー・ボールと読んでいたので、正直言うと本書には違和感を感じたというか、「あ、こういうモノ書いてデビューしたんだ」的な印象を持った。カッコいい女性シンガーのデビュー曲がアイドル丸出しの歌と歌い方だったときに感じるアレだ(って分からないか)。
著者がソロモン時代にかなりの成功を収めていたという事実には単純に驚いた。その様な人がそうそうと物書きに転身するという構図は珍しいであろうと思っていたから。まあ駄目駄目だったんだろうと思っていた訳ではないのだが。
僕は投資銀行をはじめとして、金融なるものにあまり興味がない。まあ金融と言っても幅広く、一纏めにすること事態が批判の対象にもなりかねないが、あえて一纏めにして興味がないと言っておく。金融業界に従事している人を批判する気もまるでないし、それなりに大きな社会的意義を持った仕事でもあると思ってはいるのだが、やはり僕が求めている種類の価値の創造をしていない業界だという想いがある。繰り返しになるが金融と言っても幅が広いし、例えばGoogleだってAppleだってお金を出してくれる人間がいたからあそこまでの価値を創造できたことは間違いない。それは確実。でもまあだから興味が出るかと言われれば出ない。まあ僕はあまり勝ち負けに興味がなく、さらに大雑把な性格だし、数値的な能力もそんなにないのでとても投資銀行でやっていくことなど出来なさそうだが、まあ大抵の集団がそうであるように色々な人間が投資銀行にもいて、僕が今上げた条件を全て満たしているにも関わらず大成功を収めている人間もいるだろうけども。

プログラマ

偶然見ていただけなのだが、Wikipediaでプログラマを見ていたら以下の様に書いてあった。ちょっと長いけど引用。

品質や残業の発生など、プログラミングに関する問題について、多くのプログラマがオブジェクト指向、エクストリーム・プログラミング、アジャイルソフトウェア開発などのソフトウェア工学を熟知していないことが原因であるという見方がある。 しかし、日本では、このようなソフトウェア工学を修得する機会や研修期間、社内教育が用意されない企業も少なからずあり、企業のソフトウェア開発に対する認識が甘いのではないかという指摘もある。

また、大学など先端教育機関でのコンピュータサイエンスや情報工学、情報科学の研究成果が生かされていないことも指摘されている。採用の際に、「学歴なんか関係ない」「大学は何も役に立たない」と言い切る担当者も少なからずおり、専門教育を受けていたかどうかによる初任給の差も少ない。 [1] このような大学軽視の背景には、IT企業にはベンチャー企業が多く、学歴や大卒に対する偏見や誤解を持っている者も多いからと主張する者もいる。

大学等の専門教育が必ずしもソフトウェア開発の銀の弾丸にはならないことが近年わかってきてはいるが、それらが全く無駄だとは言い切れないことも事実である。顧客や経営者、マネージャの判断や行動等により、プロジェクトによっていかせる技能・知識に幅が出ることも、プログラマに必要な技能や知識は何かという問いを難しいものにしている。

ことにフレームワーク、デザインパターン、アルゴリズム、イディオムの効果的な実装に関しては、発想の柔軟さというものが切に求められる分野の職業でもある。そのためプログラマの能力によっては、実質的な仕事量が人によって数倍以上の開きを持つことも決して珍しくない。

なお欧米では学歴に関しては状況が逆で、学歴と待遇が比例しているといわれている。例えばマイクロソフトやグーグルといったソフトウェア関係の大企業では名門校出身者や高学歴保持者を特に優先して採用するのが一般的であるほか、ジョエル・スポルスキなど、優秀な人材を確保したければ優秀な大学で採用活動をすべきと明言するベンチャー起業家も多い。

プログラマ – Wikipedia

世間がどう考えているかとか、プログラマと呼ばれる人間の実力が大体どうだとか、誰も分からないし、僕がそんなことを断定するのはおこがましいが、まあWikipediaってのは誰でも編集できるわけだから、大体世間の総意だと思ってもいいかもしれない。勿論、この記事を編集しているのはほとんどプログラマだろうから、プログラマの総意ってことになるけれど。
実は僕も勤務先の経営者に同じようなことを言われたことがある。まあ日本の大学の教育レベルがあまり高くないであろうことは分かるし、学生があまり熱心に勉強していないのも分かるが、それでも何を勉強していたかとか、どんな経験があるのか、を無視してプログラマを採用するのは無理があるように思っている。勿論大学卒業時にまったくもって未経験だったけれど、輝くような才能を持っている、という例が無いとは思わない。しかし僕が色々な人を見てきた小さな経験から言わしてもらうと、かなり例外だと思う。頭が良い人を採用することは出来ても、そこからさらにプログラミングに熱意を持ち、継続的に学習を続ける人間を見つけるとなるとかなり難易度は高い。
僕は単純に、いつの日にかプログラマが専門職として世間に認知されれば嬉しいなと思っている。あまりにもプログラマと呼べる職業の幅が広いから難しいんだけれど、いつの日かそうなれば良い。高度なプログラミングを行う人間の仕事は専門職と呼ぶに相応しく、多くの知識と経験が必要とされる。世間的に専門職として認知されているであろう弁護士、医者、公認会計士等にもまったくひけをとらない職業だと僕は思っている。いつの日かそれが世間に認知されれば嬉しい。そんなことを単純に考える。
話は変わるけど、ついでに英語版のWikipediaを覗いてみたのだが、日本語版のプログラマの欄にあったような残業だ徹夜だ休出だというネガティブな空気がほとんど無いことに驚いた(Wikipediaはそういうことを書く場ではないという認識が強いだけかもしれないが)。まあ最後の方にオフショアリングによって仕事が無くなるのではという心配が載っていたけれど。

Enrollment in computer-related degrees in U.S. has dropped recently due to lack of general interests in science and mathematics and also out of an apparent fear that programming will be subject to the same pressures as manufacturing and agriculture careers. This situation has resulted in confusion about whether the U.S. economy is entering a “post-information age” and the nature of U.S. comparative advantages. Technology and software jobs were supposed to be the replacement for factory and agriculture jobs lost to cheaper foreign labor, but if those are subject to free trade losses, then the nature of the next generation of replacement careers is not clear at this point.

Programmer – Wikipedia

村上春樹「遠い太鼓」

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

感想を正直に言えば、羨ましかったというか、このような旅を私も妻と経験してみたいという種類の事が一番最初に出てきてしまう。もちろん彼らは遊びに行っていた訳ではなく、小説を書き上げる為という立派な理由があるし、書いてあった通り楽しいことばかりではなかったようだが、それでもこのような長期の旅を(しかも三十代後半で)経験することが出来る人間というのは限られているだろうから、やはり純粋に羨ましい。とにかく本を読んでいて、出てくる料理とワインが美味しそうだった。それが強く印象に残る。
あと感じたのが、やはり小説を書くというのは芸術的な創造作業なんだという当たり前のこと。村上春樹さんなんかは、なんとなく普段我々が仕事をしているように、定期的に、継続的に、ときに単調に小説を書くという作業を進めているイメージがあるが、それでもやはりそういう状態に自分を「持っていく」ことが出来ないと中々書けないものなんだなあ、と実感。そのためにも旅が必要なのだとしたら、旅も彼にとっては仕事の一部と言えるだろう。
あ、イタリア人のいい加減さに辟易している様も印象に残っているが、最後の方に書かれていた内容から推察するに、しばらくイタリアから離れているとそのいい加減さすら愛すべきイタリアの一部ということで懐かしく思ってしまう。イタリアってそんな国ではなかろうか。まあ犯罪は勘弁して欲しいんだけど。

「世界の技術者、刺激したい」――ライブドアRSSリーダー英語版公開

「Fastladderを公開し、世界の開発者にアピールすることで、Web型RSSリーダーの世の中のベースラインを引き上げたい。使い勝手のいいユーザーインタフェースで数千件のRSSフィードを軽く処理できるくらいの状態には、当たり前になっていてほしい」(ma.laさん)

「世界の技術者、刺激したい」――ライブドアRSSリーダー英語版公開 – ITmedia NEWS

世界を目指す姿勢がカッコいいし、全体的なRSSリーダの質を上げたいという心意気もイカす。頑張って欲しいし、負けないようにしたい。

久間氏発言

あまりこの問題に関するニュースなどは見ていないけれど。ちょっと一言。
例えば会社の経営陣が社内の何かしらの制度(例えば報酬や評価の制度)を変更したとして、それに納得のいかない社員が人事部に辛く当たるという構図がよくある。でも皆、別にそれが人事部のアイデアではないということは理解している。人事部は経営陣の命を受けて動いているだけだと理解しているものの、やはり批判の矛先が人事部にいく。なぜか。お分かりだと思うが、経営陣にはモノが言えないからである。距離が遠いというのも勿論あるが、当然人事部に文句付けるよりもハードルは高い。
今回の件にはそれと似た構図を見た気がした。本当は皆アメリカに文句を言いたいのではなかろうか。でも強いアメリカにはモノが言えない。そこで久間氏がアメリカと同じ意見を口にした。ここぞとばかりに大叩き。普段アメリカにモノを言えないストレスを、モノが言い易い同胞の人間にぶつける。そういう構図じゃなかろうか。
別に久間氏の発言を擁護するとか、いかなる政治的な意見も込められていないのだが、原爆の問題を真剣に考えている方々は、久間氏を糾弾することで何を得ようとしているのかをもう少し考えてみるべきだと思うが。
しかし僕の記憶では、久間氏って多少右側の発言をする事で批判の対象に上がっていたような記憶が。

田中淳夫「割り箸はもったいない?」

割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)

割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)

なんとなくタイトルに惹かれて購入。感情的かつ扇動的な傾向を帯びている近頃の環境問題への取り組みをターゲットに書かれた本かと思ったが、あまりその色は濃くなく、むしろ割り箸の製法とかそういう話の方が頭に印象として強く残っている。
まあ割り箸に限らないし、環境問題にも限らないのだが、結局我々には全ての事象についてのデータを検証している時間もなく、また能力もなく(ある方も多数いらっしゃるとは思う)、結果として分かり易い構図に引き込まれていく。「割り箸→木製→使い捨て→今木が減っている→無駄遣いだ」という構図はとても分かり易いし、減っている鯨を食べている日本人は野蛮だ、という構図も非常に分かり易い。だからそういう活動に人が巻き込まれていくのは分からないのでないのだが、問題は一度そういうところで考えが凝り固まると、誰が見ても分かり易い様な反証のデータを見せられたりしても聴く耳持たない状態になってしまうことである。そこでコロっと「あ、俺の活動って間違ってた。やめよう」とか豹変できる人間ばかりだと話が楽に進むのだろうけど、中々そうはいかない。どちらかというと男性の方が凝り固まるというイメージを僕は持っているので、気をつけたいと思う。
本の主題とは直接関係ないけれど、工芸品としてもう少し箸に注目してみたいと思った。割り箸にも。

新人のモチベーション

モチベーションという言葉自体あまり好きではありませんが。

労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
報酬はつねに集団によって共有される。
個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。

http://blog.tatsuru.com/2007/06/30_1039.php

内田先生の文章は相変わらず上手い。僕が読んでるブログの中では最も読ませるブログだ。そして今回の相当興味深いことを書いている(ちなみにこのエントリを書いている時点ではてブが223に対し、コメントとトラバは2つずつ。うーん、アンバランス)。文章が上手いと言っても、適当な事を文才でごまかしているとかそういう話ではなくて、単純に博学であり、かつ洞察が深く、そして自分の頭の中にあるものを上手くアウトプットする能力を持っていると思っている。
さて新人のモチベーションだけど、結局内田先生の言うとおり個人的努力は個人的に報酬に還元されないのは確かな話で、評価制度にどんな手を打ったとしてもそこに不満を感じる社員は消えないだろう(僕も勿論例外ではない)。だから個人的には新人には、会社から与えられる報酬、つまり収入や地位を軸に自分の仕事を考えるのではなく、客観的に見て自分の能力が仕事を通して上がっているのかどうなのかを中心に自分の仕事を考えて欲しい。例え見合った報酬は得られなかったとしても、仕事を通して能力が伸びたというのであれば良しと考えて欲しい。逆に報酬は得られたが、まったくもって能力の伸びない仕事を与えられたとしたら「げっ」と思って欲しい。
まあ上手く書けないけれど、自分が属している分野の中ではグローバルに高い評価を得られる様な人材になって欲しい。そうすれば報酬だっていずれついて来るだろう。