消えた納豆

なんかかなりどうでも良い話題なのだが、僕はおそらく15〜20年くらいほぼ毎日納豆を食っている。僕の納豆好きはかなり親戚では有名で、まあ自分でもそう思うけどちょっと異常に好きであり、毎食2パックくらいだったら楽々食べられる。アメリカ行ってた期間は、何が恋しかったって日本食が恋しかったのだが、その中でもやはり納豆に対する気持ちは強かったように思う。

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で先日奥さんと食料の買出しに近所のスーパーに行ったら、あれま納豆がひとつも無い。普段あまり売れないであろう高級納豆までまったくない。これはどうしたことか。困った。
奥さんが調べてくれたのだが、どうもあるある大辞典というフジテレビ系の番組でどうも取上げられたことが原因とのこと。まあ痩せるとか若返るとかそんな話だと思うが、それ見た視聴者が納豆買い漁った結果、僕は手に入れることが出来なかったようだ。
冒頭で「くだらない」と書いたが、社会学的に、または単にマーケティングの観点から、さらに言えば人類学的には結構面白いテーマというか、深刻なテーマというか、研究してみる価値のある行動だなと思った。テレビ番組の影響で食品が一時的にバカ売れするという話は聞いたことがあったものの、今回実体験してみて非常に興味深い現象だなと確認。いやはや。
僕は人類学的に(この分類も適切なのか分からないが)考察してみることに興味があるが、そもそもこの扇動され易さというのはどうなのだろう。これはテレビというメディアの持つ影響力が物凄いからであり、どこの国でも見られる現象なのか、それとも近年の日本人は扇動され易い国民性を持つようになってしまったのか、あるいは以前から扇動され易かったのか。なんとなく、ほんとなんとなくなのだが、アメリカ人や中国人は扇動され易いという印象を持っていた。おそらく同一の現象が彼らの国で起こったとの報道でもあれば、それを見ながら僕は失笑しただろうと思われるが、どうも我が国の国民性も相当のもののようだ。
ちょっとびっくり。少し考えてみる必要があると思う。いや、決して納豆が食べられないことに文句を言っているわけではない。