日々起きる問題にも色々な抽象度のものがある。例えば「現在トップページからのリンクが平均2秒掛かっているが、これを0.5秒以下に抑えたい」という問題ならば非常に具体的であるし、「最近、社内の雰囲気が悪い」とか「今年の新人はやる気がイマイチ」という問題であれば非常に抽象的である。どちらのタイプの問題も問題であることには変わりないし、どちらのタイプの問題が重要とかそういう議論をする気はないのだが、もし自分が後者の「抽象的な問題」にばかり口を出すようになっていたら危険信号だと思った方がいい。
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大抵抽象的な問題というのはどんな人間でも意見を述べることが可能である。どんな人間でも可能というのは、知識も経験も頭の良さも無くてもという意味である。例えば例示した「今年の新人のやる気がイマイチ」という問題であれば、何かしらの意見を誰でも述べることが出来るだろう。対策案を挙げることも可能だと思う。そして問題が抽象的なだけに、効果の測定もしにくいし、大抵行われない。だからその人の案がどの程度のものだったかという検討もされない。そして効果が定量的に測定されない以上、対策案が採用されるのは大抵発言力のある人間が出したものになりがちだ。
一方具体的な問題に対して発言するなり対策案を出すためには知識や経験や頭のよさが必要となってくる。そして出された対策案は定量的に評価される。定量的に評価されるので、上で例示したトップページからのリンクで言えば、例えばベテランのエンジニアの案が0.7秒であり、新人の優秀なエンジニアの案が0.4秒であれば当然後者が採用される。きちんと専門的な知識を持った人間の中から出たアイデアが、定量的に判断され、そこに存在する非ビジネス的な要素(年齢、年次、人間関係)といったものは極力排除される。具体的な問題でないと、そういった状況を作ることはなかなか出来ない(無論、具体的な問題であってもこのような状況にすることが出来ないことも多いが)。
ある会社に長く在籍していると、「その会社内でしか通用しない人間力」が付いてきたりする。所謂「顔が利く」というような状態である。「それもひとつの能力」と割り切りだす人もいるかもしれないが、少なくとも会社全体で見て利益となる能力ではない。このような状態になると、日々変化する社会に併せて勉強するとか、技術の進歩に併せて新しい知識を身につけるとかそういった努力をしなくても社内である程度のポジションと発言力をキープできてしまう。「そんな会社がそもそも悪い」と思われる方もいるかもしれないが、日本の企業には特にこういう傾向が強いと僕は感じているし、こういう会社はたくさんあるだろう。もしそういったポジションについてしまうと、具体的な問題には口を出せなくなってくる。知識がついていかないし、何より定量的に評価されるので、自分の能力の無さ加減を露呈してしまう結果に繋がり易い。一方抽象的な問題であれば、自分の力を誇示するチャンスとしゃしゃりでて、思いつきで対策案をポンポン出すことも可能である。ある程度の発言力があるので意見も採用され易く、もしorzな意見だったとしても定量的に評価されることもないので自分の能力の無さを露呈する危険性も少なくなる。非常に都合の良い問題なのだ、ある一部の人間にとっては。
前述したが、具体的な問題と抽象的な問題自体の比較をする気はない。それはどちらも日々起こる問題であるし、どちらも解決しなければならないのである。が、自分がもしも抽象的な問題にばかり口を出すようになっていたとしたら、それは危険信号と捉えたほうがよい。特に自分が社内である程度のポジションをキープしているなどと自覚していたらなおされである。おそらく、堕落への道を歩んでいる。