先程久しぶりに愛犬が粗相をした。ベッドの上だった。久しぶりなので慌てたが、奥さんと二人で臭い消しと布団の乾燥。まあ頑張っても臭いは残ってしまうのだけれど。
最近すっかり大人になってしまった感があったがまだまだ子供なんだなと思う。ときおり一人になりたがる素ぶりに寂しさを感じていたりもしたのだが、やはりまだ僕等の手が必要なんだと思い可愛く思った。
きっと子供に対する親の感情というものにもどこか似たようなものがあるのではないかと思う。ある種子供が一人立ちできないという状態は、親にとっては少なからず心地よい状態なのではないかと推測した。限度はあるだろう、と思うけれど、もしかしたらその限度が自分の命尽きるまでと無意識に思い込んでいる親もいるかもしれない。
昔より人が精神的に幼稚である、また幼稚な期間が長いのだとしたら、それは親の持つ余裕と関係があるのではないかと思った。昔は親にも余裕が無かったはずである。子供には早く一人前に、端的に言えばお金と手間のかからない存在に一刻でも早くなって欲しかったはずである。子供が自分の手を離れない様子をある種楽しむような余裕ができたのは最近のことだろう。そう、余裕のある現代人にとってある意味「いつまでも一人立ちできない子供の面倒を見る」というのが一種の娯楽化している可能性はあると思った。今度考えてみたい。
愛犬よ、急いで大人になるでないぞ。