これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8b5c071403ce1ab76cdd6e63860ea95b
僭越ながらこのPaul Rubin氏の指摘は、以前に僕が書いたエントリと同内容だろうと思われる(勿論レベルは圧倒的に違うだろうが)。
論理的に考えれば正しくても、感情的に(あるいは本能的に)受け入れがたいこと、ってのが世の中にはあると思う。例えば定率減税廃止、これに着目してみる。定率減税は廃止されるのに、高額所得者(3000万円以上だそう)に対する減税措置と、法人税に対する減税措置が廃止されないことに非難の声が挙がっている。「貧乏人からばっかり金とってどうすんだっ!金持ちから搾り取りやがれっ!」とついつい感情的になってしまいがちな話題だ。僕も例外ではない。
みのもんた、つまりマスコミが我々の「古い脳」を代表する存在であるとして、我々の「新しい脳」を代表する存在には誰がなれば良いのだろう。よく分からないが、ひとつ肌で感じて分かるのが、日本という国は段々「古い脳」が支配する国に近づいてきているのではないかということ。これはテクノロジーの進化による変化だと思うし、この現状を変えるのもまた新しいテクノロジーではないかと思う。少なくともインターネットは、テレビよりは「新しい脳」側のテクノロジーではないだろうか。これは希望的憶測かも。