コミュニケーション能力の正体

僕は「コミュニケーション能力が売りです」とか「エンジニアにもコミュニケーション能力が求められる時代」とかそういう意見があまり好きではない。勿論最低限のラインというものは存在するだろうし、第人数の聴衆を相手に自分の意図を明確に伝えれられるとか、相手がどんな人間であっても取り入ることが出来るだとか、そういう人より優れた能力を持っている人間もいるだろうと思う。
でも1エンジニアとしては、世間一般でコミュニケーション能力なんて呼ばれて評価されるような人間の行動なんてのは以下の様などうでもいいことだろうと斜めに構えてしまう。
例えばある事象Aが起きて、それを部長に伝えなければならないとする。

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社員Aの伝え方。

社員A「部長、事象Aが起きました。詳細はメールで。」
部長 「あぁ」

社員Bの伝え方。

社員B「部長、最近ゴルフの方はどうですか?」
部長 「あぁ、あまり調子出なくてな」
社員B「最近お忙しそうですものね。なかなか練習も出来ないですよね。今度一緒に連れてって下さいよ」
部長 「そうだな。今のプロジェクトが終わったらいくか」
社員B「ところで部長、実は先日事象Aが起きましてね…」
部長 「ほう、そうか」
社員B「でですね、それがどういうことかと言いますと…」
以下、続く。

極端な例かもしれないが、コミュニケーション能力が高いと言われるのは得てして社員Bの様なタイプである。別にこのような物言いをする人間を批判している訳ではなく、問題だと思っているのが社員Aの方が実務能力が上だとしても、「コミュニケーション能力を重要視」とか言っている会社だと社員Bの方が高く評価されてしまったりすることにある。
本当に個人的な意見だが、この社員Aの方を「コミュニケーション能力が低い」と評価するのは評価者側のエゴとしか思えない。本来の仕事のことを考えれば、事象Aが起きたことを伝達してもらえば十分なはずなのだ。なのに自分に気を遣ってくれたとか、やさしくしてくれたとか、声をかけてくれたとかそういう要素を評価に入れようとしている。コミュニケーション能力の正体なんてそんなものだろう。プライベートな人間関係ではそういう要素は重要であろうと思う。ただそれと仕事上の情報伝達を同一視してるだけではないだろうか。
上で「最低ラインはある」と書いたが、この「事象Aが起きた」ということをまったく伝えられないようであれば、コミュニケーションの力が欠落していると考えてもいいかもしれない。伝えるべき情報が伝達されていないからだ。それはまずい。