ネットイナゴ問題雑感

ネットイナゴについて何か書こうと思っていたら、各所で盛り上がりを見せているようで完全に出遅れてしまった。まあ別に他人より先に書いたからといってどうということはないのだけれども。

一方、はてなブックマークでの厳しい一言で人が傷ついたりしているのを見かけます。誰かがちょっと間違ったということを指摘するのに、バカとかアホとか、そんなことを書く必要は本当にあるんだろうか、自分の思う正しい回答を丁寧に示すだけでよいのではないか、と思います。

はてなブックマークのコミュニティについて – naoyaのはてなダイアリー

こういう「誰かが傷ついた」的なミクロな話に向かうのは意外だったというか、ちょっと方向性が違うのではないかと思う。結局のところWebが皆にとってどの様な場所になるべきなのか、どの様な場所になると嬉しいのか、というマクロな話が今問題になっているんだと認識している。その意味では池田信夫さんの記事で述べられている視点は共感できる。今こういう議論をすべきでないかと思う。例え話としてはちょっと暗いのだけれど、年間交通事故で1万人近くの人が日本だけで亡くなっている。おそろしい数だと思う。けれど自動車はマクロで見れば我々を幸せにしたのではないかと思っている。例えばそういう話。上手く書けないけれど、どんな物やサービスもミクロで見てしまえば誰かを傷つけたりすることはある。誤解を恐れずに言えばそれはしょうがないことだ。でも今のはてブは全体の質としてどうなの、という話をするべき。人を小馬鹿にすることが中心のしょうもないネット空間になってしまったらどないすんねんと、そういう話に持っていかなければならないはずだ。
前にも書いたと思っているのだが、結局はてブでコメントできてしまうことが全ての元凶なんじゃないかと僕は考えている。あのコメントには一種の独特な暗さを感じるのは僕だけではないのではなかろうか。あのコメントで吹いたことも何度もあるし、納得できないエントリのコメントに共感したこともある。ただじゃあ何か本質的に役に立った事があったか、と考えると、一度か二度そういうことがあった程度だと思う。ただし自分のはてブに付けた自分のコメントは後からの検索時に役に立つ。もともとそれを想定した機能だろう。だからはてブのコメントは自分のだけ見れる様にしてくれて僕は構わない。人のエントリや記事に反応したかったら、トラックバックやコメントで正々堂々と反応すれば良いのではと思う。ここまで書いてきて思ったが、はてブのコメントに独特の暗さを僕が感じるのはそこに責任を感じないからかもしれない。人がいるという気がしない。その意味ではid:naoyaとは正反対の感じ方をしているのかも。
まあ1ユーザとしては、あまりにもしょうもないサービスになってしまったと判断したら、より良いサービスに移行するだけである。もちろん使いなれたものから移行するコストというのはそれなりなので、はてなには頑張ってもらいたい。もちろん協力できることがあればしたいと考えている。