米国には40歳、50歳のプログラマが結構いるという。彼らが社会的にどの様に扱いを受けているのか分からないけれど、僕の個人的な感覚からすれば高齢のプログラマが存在することは自然というか、むしろ相当に年季が入った人達であろうと尊敬を覚えてしまう。まったくもって肉体労働ではないし、むしろ多くの専門知識と経験が要求される職業なのであるとすれば、そのくらいの年齢になるまでやっていないと一流とは言えないのではなかろうか。40歳、50歳の料理人や職人なんてのはごろごろ日本にだっているだろうし、プログラマもまあ同じようなもんだと思っている。
しかし日本で40歳のプログラマというと大抵「え、40にもなってまだコーディングしてんの?」的な侮蔑の混じったリアクションを受けてしまうのではないだろうか。アメリカの40歳のプログラマがある程度の尊敬を受けているとするならば、この差は一体なんだろうと考えてしまうのだが、こういうリアクションをしてくる人は大抵プログラマじゃない、もしくはプログラムを少し触ったことがある程度のであることから、彼らの頭の中にはもう「プログラム=ビジネスロジックを組む=誰にでも出来る」という固いロジックが出来上がってしまっているのであろうと推測する。そして決まって「いつまでもコーディングなんかしていないで、マネージングとかしていかなきゃ」という結論を彼らは持ち出す*1。
彼らは本当に自分の頭で考えた結論を述べているのであろうか。疑問に思う。確かに社会全体はそういう雰囲気だと思う。でもただそれに流された意見を述べていないであろうか。例えば料理人や大工も自分の技をいつまでも極めていては駄目で、他の料理人や大工のマネージメントの道に進むべきなのであろうか。スポーツ選手に体の衰えがなかったとしても、コーチや監督業に進むべきなのであろうか。普通そうは思わないだろう。むしろマネージメントに進もうと画策している料理人の料理なんか食べたくない、って僕は思ってしまうけれど。
、とここまで書いてて思ったけれど、「プログラムは誰にでも書ける」というロジックと共に「プログラムは実は肉体労働」的な考えも彼らにはあるという気がしてきた。もしそれが本当だとすれば、年と共にプログラムをすることは難しくなるだろう。ただ僕の意見では、プログラムというはこれでもかというくらいの知識労働である。そのプログラムを肉体労働化してしまっているものは、ソフトウェアがどうだとか技術的にどうだとかいう話よりも、むしろビジネス上の問題というか、人間系の問題だろう。
「プログラムなんてこんなもんだろう」的な結論に辿り着こうとしているそこの貴方、まずはStructure and Interpretation of Computer Programs (MIT Electrical Engineering and Computer Science)でも読んでみませんか。
*1:個人的には、プログラマのマネージメントはプログラムを書いている人にしか出来ないと思う。