有効ではない反論

Life is beautiful: 安倍総理への提案:「人生のやり直し」に寛容な社会作りをしませんか?というエントリが最近アップされたが、はてブを見てみると以下のようなコメントが付いていたので、ちょっと紹介したい。

はてなブックマーク – Life is beautiful: 安倍総理への提案:「人生のやり直し」に寛容な社会作りをしませんか?

同意だけど、安倍さんに振ってもしょうがない

なぜ安倍さん? 彼が必死になってこの問題に取り組んだところで彼では少しも改善できない。総理が解決できるレベルの話じゃない。

見方はいい。ただ、事例がいかにもでどうも。あと、安倍はターゲットじゃないと思う。

それを阿呆ボンに聞いても無駄だろ。

これらを見ていて、また小学校時代の思い出が記憶に甦ってきた。僕とクラスメイトが何かしらの値を当てっこしている、というシーンである。

A 「僕らの住んでいる町は何丁目まであるか知ってる?」
僕 「う〜ん、八丁目までだと思う」
B 「俺は八丁目までじゃないと思う」
A 「正解は十丁目まででした〜」
B 「いえーい、俺の勝ち〜」
僕 「…」

具体的な内容はきちんと覚えていないのだが、言いたいことを伝えるのにはこれで十分だと思う。
このときの僕はこの構図がおかしいということを周りの皆に説明する力を持ち合わせていなかったのだが、今なら誰にでも自明であろう。僕が=8を答えにしているのに対し、Bは<>8を答えにしている。これはあまりにもBに有利な勝負である。もしこの勝負を有効にさせようと思ったら、Bも9とか10とか具体的な数字を述べなければならないか、もしくはオッズでも導入するしかないのである。このBの答えが僕に対する反論だとしたら、とても有効とは言えない。
この構図は実は社会に出てからもそこそこ見かけるということを最近気付いたのだが、上記で引用したはてブコメントはまさにこのパターンだと言っていいだろう。提案先が安倍総理で間違っているとするならば一体誰が正しいのか、それくらいは短い文章しか書けないはてブにでも書けたであろう。要するに<>だけ述べて、=で述べた相手に勝った気になってしまっているのである。しかしこれは有効な反論とは言えない。そうではないだろうか。
まあこのブログの著者が安倍総理に提案と書いているのは、ただ権力中枢の象徴として安倍総理の名前を使っているだけであり、誰に提案を持っていけば良いのかを真剣に検討した上で書いたわけではないと思うので、そもそもそこに突っ込みを入れること自体がずれた行為であるように思える。