月別アーカイブ: 2008年1月

本当に有害な情報はないのか

ちょっといつも書いているような話と違う話題について書いてみたくなりました。ちなみに出遅れ気味の話題です。

有害情報など、ない。有害となりえるのは、それを利用する人間の方である。

404 Blog Not Found:情報に有害も有益もない

本当にそうなのでしょうか。

仰る通り人間は有害になりえます。厳密に言えば、全ての人間が持っている有害な部分というのは刺激され、発動しえます。僕はそう思います。聖人と呼ばれるような人がもしいるとすれば、如何にその刺激に対して自分の有害な部分を発動させないか、そういう術を心得ている人ではないでしょうか。そしてここで話している刺激とは一体何でしょうか。情報なのではないでしょうか。人間の有害な部分を刺激しやすい種類の情報というのがこの世の中には存在しているのではないでしょうか。僕も検閲なんて反対ですが、そういった種類の情報から特に刺激を受けやすい世代を守ろうという試みが間違っているとは思えません。検閲と表裏一体なのが難しいところですが、少なくともこの試みに対する志を否定する気はありません。
みなさん、例えば自分が思いつく限りの最低最悪の人間の行為を頭に思い浮かべてください。人間の深い闇の部分を想像してみてください。例えばそういった情報が、極端な話映像情報として提供されているとします。自分の子供にそれを見せたいと思うでしょうか。おそらく思わないでしょう。「家の子は大丈夫」と思った方もいらっしゃるかもしれません。それは子供さんの「有害な部分を発動させない術」を信じているからでしょう。いずれにせよ「その情報を見せたくない」「見せても大丈夫だろう」と感じるのは、それが人間の有害な部分を刺激する情報、言ってみればそれが有害情報だと感じるからではないでしょうか。それが我が子を揺るがす可能性のある種類の情報だと信じているということではないでしょうか。
繰り返しになりますが、僕も検閲が良い事だなんてまったく思いません。ただもし国が検閲をしなくても、自分が子供を持ったときに、多かれ少なかれ検閲の様なことを僕はすると思います。少なくとも有害情報だと信じるものをすすんで子供に与えることはないと思います。子供は自分ではありませんので、何が有害情報になりえて、何が有害情報になりえないかは本当の意味で僕に判断はできないでしょう。しかしだからと言って野放しということには絶対にしないと思います。その辺りの匙加減は非常に難しくなるだろうと思います。法律を作る立場の人達だって、その匙加減の難しさに苦しんでいるのではないでしょうか。僕はそう信じたいです。

Obama氏の演説で英語のお勉強

民主党大統領候補のObama氏の演説か各地で話題となっている。昔から思っていたのだが、アメリカの政治家の演説というのははっきりと大きな声(Clear and Loud)で話すのでリスニングがし易い。

リスニングの勉強はもちろんのこと、素早く英語を話す事が出来ない我々非ネイティブスピーカーがどのように英語を話すべきかについての良い示唆にもなっていると思う。勿論毎度毎度演説のように話せということではないが。
しかしそれにしても、アメリカの若者の大統領選への熱狂というのは凄まじいものがある。これではまるでロックスターだというのが日本人としての正直な感想だろう。

MacBook用の使いやすいキーボードカバーiSkin ProTouch

プレアデス iSkin ProTouch Keyboard Protector for MacBook - Ghost ISKPTMB-GH

プレアデス iSkin ProTouch Keyboard Protector for MacBook – Ghost ISKPTMB-GH

USキーボードでMacBookを買ってしまったせいで、対応しているカバーを探すのが大変だったのだが、探した中から偶然選んだのがこのiSkin ProTouch。実物を見る事もなく、適当にAmazonで注文してしまったけれどこれが当たり。キーボードの打ち心地もいいし、デザインもMacBookの美しさを損ねる事がない。まだ使ってからあまり経っていないけれど、材質も耐久性が良さそうなシリコンだ。感触からして長く使っても所謂凸凹状態にはならなそうだ。これは洗う事も出来るらしいのでMacBookを使い続ける限り長い付き合いになりそうだ。どうやら品切れをおこしているようだが、MacBook用のキーボードカバーを探している方にはお勧め。あ、日本語版でも上手くいくのかどうかは未確認なのでご注意。
外側を守りたい人は、以下のボディーフィルムもお勧めです。

パワーサポート MacBook 13インチ用ボディー保護フィルム PBF-33

パワーサポート MacBook 13インチ用ボディー保護フィルム PBF-33

他人の感覚と自分の感覚を比較することが不可能だという当たり前の話

「私って人見知りなんだよね」
「俺って友好関係狭いから」
「わたくしは人よりも人生経験豊富なので」
「わし程これが嫌いな人間はいない」
「私って人より朝弱いじゃないですか〜」

他人にはなれない。それは他人の感覚を味わう事が出来ないことを意味する。自分が感じる感覚は分かる。でも他人のは分からない。つまり比べることが出来ない。自分が感じているものを絶対的に判断することは出来る。でも相対的に判断することはできない。それは人間が背負う自然の摂理であり、感じる事が出来る、というのは自分というものの定義そのものであろう。
上記の様な台詞をついつい口にしてしまうことは多い。そしてそれが何かをしないことの言い訳になることが多い。でも本当にそうなのだろうか。上述したように他人と自分は比べられない。つまり他の人だって同じように感じているのではないだろうか。客観的に見て「あいつは絶対に違う」と思えるような人だって、表面的にはそう見せているだけかもしれない。それはあなたには判断出来ない。自分は自分しか判断出来ない。だから他人の感覚を勝手に過小(過大)評価して、それを自分の言い訳にしてはならない。僕の知っている限り、ほとんどの人は自分を人見知りだと思っている。でも誰だって、初対面の相手とは身構えるものなのだ。

正月三ヶ日早々に学んだ事

元旦に食べた物のせいなのか何が原因なのかは分からなかったけれど、ウイルス性の胃腸炎と思われる症状に見舞われ、元旦の深夜から三日の朝くらいまでかなり苦しんでいた。高熱、嘔吐、下痢でもう大変。今年は気合い入れて勉強しようなんて意気込んでいたけれど、やはり体は資本。健全な精神は健全な〜じゃないけれど、もうそれは基本ですね、はい。精神は肉体というハードウェアの上で動くOSです。そっちがしっかりしてないと何も出来ません。あと計画なんてものは外的要因であっさりと変更を余儀なくされるものだということも再認識。周到に用意された計画、綿密に組まれたスケジュール、あらかじめ想定されたリスクへのコンティンジェンシープラン(この用語知ってる人ってどれくらいいるのだろう…。勤め先の専門用語かも。まあ代替案ということですね)、いずれも聞こえは言いけれど、まあ予期出来るレベルの物事に備えているってだけの話であって、突然ウイルスが猛威を振るったとかそういう話の前にはなす術ないんですよね、やっぱり。
という訳で、何はなくともうがいと手洗いだけは欠かすまいと決めた2008年初頭だった。

「三日坊主でいいんだよ」と言ってみるテスト

なんかポジティブ・リストとかネガティブ・リストとかの話がこちらで出ているのを読んで連想した話があったので書いてみる。日本語とかその格言とか日本という国家に流れている空気には何かとネガティブ・リストが多いんだよなぁ、って思ったのはアメリカに行ってアメリカ人の知り合いが増えてきたとき。彼らは何かと将来の計画や今学んでいる事だとかを積極的に話してくるんだよね。「将来はカリフォルニアに移ってみせるわ」とか「いまスペイン語の勉強をしているんだよ」だとかね。日本でもそういう話は当然出る。でもね、その話が出るときの実現可能性がアメリカに比べて日本はすごく高いように思うんだよ。簡単に言うと日本人は「実現出来そうになったら人に話してみる」つまり「駄目そうな段階では人に話さない」的なムードが体勢なんですな。アメリカの人はあまり「スペイン語習っているとか言っちゃって、途中で挫折したらどうしましょう」的なムードにならないんだろうな、という感想を持った。日本だとなぜか、意味もなく結果を求められるんじゃないかと怯えてしまうんだよね。別にこんなのどっちでもいいだろうと思う様な内容かもしれないけれど、このムードの中で「何かに挑戦しようとする人」が減ってしまうというのは悲しいことではないだろうか。そう思わないだろうか?「三日坊主」という言葉も日本に存在するネガティブ・リストのひとつだなと今日思いついた。これが「三日でやめちゃうくらならやらなければ?恥ずかしいよ」的なムードを作ってしまう。結果「とりあえずやってみるか」みたいな人が減る。挑戦する人の母数が減る。イノベーションが生まれない、的な流れは絶対にこの国に存在していると思う。そんなの潰したいと思いませんか?三日坊主で終わってもいいからまずはやってみるといい。プログラムをやりたいと思ったらHello, Worldとやってみればいいし、アイススケートにチャレンジしたいと思ったらすぐにでもリンクに向かったらいいし、パリダカに出たいと思ったらまずは自分の車で地元を走る事からはじめたっていいんじゃなかろうか。情熱をまずは形に変えてみたらいい。それが思ったよりも難しかったり、つまらなかったり、かっこわるかったりして嫌になることは多いにある。そしてやめたくなったらやめればいい。次の情熱を待つしかない。でもその中から輝かしい才能も多くみつかることになる。全体としては多いにハッピーになる。成功した人間が後進の人たちに向かって「才能ない奴は止めろ」なんて言う事はあまりない。それはリップサービスも勿論あるだろうけれど、多くの人間が挑戦することによってしか、輝かしい才能が生まれないことを肌で分かっているからではないからだろうか。違うかなぁ。

梅津信幸「あなたはコンピュータを理解していますか?」

あなたはコンピュータを理解していますか? 10年後、20年後まで必ず役立つ根っこの部分がきっちりわかる! (サイエンス・アイ新書)

あなたはコンピュータを理解していますか? 10年後、20年後まで必ず役立つ根っこの部分がきっちりわかる! (サイエンス・アイ新書)

2007年最後に読んだ本。この本は対象読者層が結構限られるだろうな、というのが個人的な第一印象で「文系、または情報系以外の理系の学生、またはその出身の社会人で、突っ込んでコンピュータの事を知りたいという知的好奇心のある方」というのがその対象ではないかと思う。とはいうのもかなり平易な例を用いて説明をしているものの、その対象がエントロピーや有限オートマンオートマトンやメモリの参照の局所性など、まあ普通は一般の人に求められないような知識だからだ。このあたりの内容を既に勉強してきた人にとっては平易な説明でなくてもかまわないだろうし、平易な説明が必要な方はおそらく学ぶ必要もあまりないのではないかと推測するので、位置づけが難しい本だと思う。が、面白いです。