「三日坊主でいいんだよ」と言ってみるテスト

なんかポジティブ・リストとかネガティブ・リストとかの話がこちらで出ているのを読んで連想した話があったので書いてみる。日本語とかその格言とか日本という国家に流れている空気には何かとネガティブ・リストが多いんだよなぁ、って思ったのはアメリカに行ってアメリカ人の知り合いが増えてきたとき。彼らは何かと将来の計画や今学んでいる事だとかを積極的に話してくるんだよね。「将来はカリフォルニアに移ってみせるわ」とか「いまスペイン語の勉強をしているんだよ」だとかね。日本でもそういう話は当然出る。でもね、その話が出るときの実現可能性がアメリカに比べて日本はすごく高いように思うんだよ。簡単に言うと日本人は「実現出来そうになったら人に話してみる」つまり「駄目そうな段階では人に話さない」的なムードが体勢なんですな。アメリカの人はあまり「スペイン語習っているとか言っちゃって、途中で挫折したらどうしましょう」的なムードにならないんだろうな、という感想を持った。日本だとなぜか、意味もなく結果を求められるんじゃないかと怯えてしまうんだよね。別にこんなのどっちでもいいだろうと思う様な内容かもしれないけれど、このムードの中で「何かに挑戦しようとする人」が減ってしまうというのは悲しいことではないだろうか。そう思わないだろうか?「三日坊主」という言葉も日本に存在するネガティブ・リストのひとつだなと今日思いついた。これが「三日でやめちゃうくらならやらなければ?恥ずかしいよ」的なムードを作ってしまう。結果「とりあえずやってみるか」みたいな人が減る。挑戦する人の母数が減る。イノベーションが生まれない、的な流れは絶対にこの国に存在していると思う。そんなの潰したいと思いませんか?三日坊主で終わってもいいからまずはやってみるといい。プログラムをやりたいと思ったらHello, Worldとやってみればいいし、アイススケートにチャレンジしたいと思ったらすぐにでもリンクに向かったらいいし、パリダカに出たいと思ったらまずは自分の車で地元を走る事からはじめたっていいんじゃなかろうか。情熱をまずは形に変えてみたらいい。それが思ったよりも難しかったり、つまらなかったり、かっこわるかったりして嫌になることは多いにある。そしてやめたくなったらやめればいい。次の情熱を待つしかない。でもその中から輝かしい才能も多くみつかることになる。全体としては多いにハッピーになる。成功した人間が後進の人たちに向かって「才能ない奴は止めろ」なんて言う事はあまりない。それはリップサービスも勿論あるだろうけれど、多くの人間が挑戦することによってしか、輝かしい才能が生まれないことを肌で分かっているからではないからだろうか。違うかなぁ。