特例の扱いが上手いアメリカ

米国では科目別に飛び級制度があって、数学と科学で飛び級しました。この仕組みのよいところは、飛び級クラスは1年の3分の1の時間を使って、自分の関心のある分野の研究をしてよいことです。この時間を使ってCGの勉強ができたのです。ある意味「有効に機能したゆとり教育」だったと思います。

テクノロジー : 日経電子版

記事の見出しが若干煽り気味ですが、これはゆとり教育の話とはほとんど関係なく、どちらかと言うと「なんてアメリカという国は特例の扱いが上手いのだろう」と関心すべき記事であるように思う。
アメリカは本当に例外的に能力のある人間の扱いが上手いというのは僕の印象だし、多くの人の印象でもあるのではないか。扱いが上手いというよりは、能力のある人が爆発的にその能力を発揮する為の障害が少ない国だと言える。逆に言えば均質に人や物事を扱うのが得意ではないため、例えば日本の様に横並びで扱ってあげればそこそこの能力を発揮出来た人間を、アメリカ的なやり方では駄目にしてしまうといったことも多々あるだろう。このようなメリットとデメリットをしっかりと把握した上で、日本の教育のあり方について考えるべき。この記事はその議論の為に良い材料と言える。
プログラムとかソフトウェアの開発というのは、一人の人間が多くの能力を発揮するのに適した領域であるが故、百人の組織された凡人に、一人の自由な天才が勝ってしまうというような現象が起こり易い領域だと僕は思っている。それ故アメリカの例外的に能力のある人間を伸ばすというやり方が、アメリカのソフトウェアの競争力の強化に繋がり、ひいては経済の牽引力とまでなっているのではないだろうか。