これってつまり人間の思考パターンが、インターネットではそのまま表現されるということなんじゃないか。
ところでネット上の反応には「下げてから上げる」というパターンが見られると思う。最初条件反射的に批判的なものを含む感情的なコメントがたくさん見受けられ、その後に肯定的なものを含む理性的な批評的意見が現れるというパターンがあるのではないか。それなりに新規性があり、且つ、論ずるに値するだけの価値があると思われる話題については、ネット上でこのパターンがよく現れると思う。
他人の思考パターンは分からないので自分の思考パターンを考えてみると、何か気になることがあったとき、感情にどこか引っかかる事が起きたとき、特異な意見や考えを耳にしたときなどには、どうしても批判から入っていく傾向にある。「それって大丈夫なのだろうか?」とか「上手くいかないんじゃないだろうか?」とか「(相手の知識や経験など鑑みて)あまり有用な意見じゃないんじゃないだろうか」とかそういう考えから思考が始まる場合が多い。最近はそこまでじゃないけど、もうちょっと若い頃はこの時点で感情的になることもあったように思う。しかし数日経ってから冷静な自分にもう一度考えさせてみると、最初に思考を邪魔していた何かがいなくなっていて、その意見の良い側面であったりとか、一理ある部分とか、認められる部分なんかが見えてきたりする。そして最終的には自分が間違っていた事に気づくこともある。あるいは自分と方向性の相違があるだけで極めてまともな意見であったと思ったりとか。その思考を邪魔するものってプライドだったり過去の経験だったりそういうものなんだろうけど、まあ誰にせよ持っているものな訳で、邪魔されているのもきっと僕だけではないだろう。
インターネットの話とずれてきたので戻すけれど、id:jkondoが言っているネット世論のパターンというのは、人が思考するパターンに似ていると思う。人の思考パターンが世論に表れているんだったらなんか健全な気がするし、ネット世論の可能性が見える部分なのかもしれない。なんかそういう一連の世論の流れを追える様なサービスがあったりするといいかもしれない。ただ今現時点で忘れていはいけないと思うのが、ネットで意見を発信しているのは、少なくともこの日本ではまだ限られているということ。勿論テレビに比べれば桁違いの人間が意見を発信しているが、じゃあ多様なのかと問われれば、現在は偏っていると答えざるを得ない。そういう状況のはずだ。