「頑張れ」という無責任で曖昧で素晴らしい言葉

ここ二日間に僕の回りでたくさんの「頑張れ」と「ありがとう」があった。

僕が送った「頑張れ」と「ありがとう」もあったし、僕が送られたものもあった。僕と直接の関係はないものの、僕にとって大きな意味を持つ「頑張れ」と「ありがとう」もあった。

「頑張れ」なんて言葉に具体的な意味はない。具体的な意味のない、極めて無責任な言葉だ。この言葉を送った方だけが一方的に満足して、送られた方にとってはプレッシャーになりかねない危険な言葉だ。

だけど、この言葉に込められる意味は何よりも大きい。具体的なプランや安心なレールの提供よりも、とても暖かく、旅立つ者に、挑戦する者にこれほど相応しい言葉はない。

「頑張れ」

ここ二日間でこの言葉を送った人達に、僕より若い人達に、この言葉を今一度送りたい。この言葉を重圧のように捉える必要なんてない。ときに休息をとることだって、「頑張る」うちに含まれる立派な行動のひとつだって忘れないでほしい。

「ありがとう」

僕に「頑張れ」を送ってくれた方、僕に「頑張れ」を送らせてくれた方全てにこの言葉をもう一度送りたい。

あなたがしていた事の中で、あなたは大した事をしていないと思っていても、僕にとっては大きな意味を持つ事だということはたくさんあった。

それは他の全ての人にとって意味のある事ではなかったかもしれない。

僕が勝手にひとりで感謝しているに過ぎないかもしれない。

ただ、これは事実。あなたがしてくれた事は、僕という人間の中では少なくとも大きな意味を持っています。

「ありがとう」

あなたが気付いていないその事に感謝の言葉をお送りします。

「頑張れ」

これからも何とかやっていけるように、あなたにも僕にもこの言葉を贈らせて頂きます。

また何処かで会えるといいね。