人の専門性を活かさない国、日本

博士の就職難、というのは何とも悲しい話だが、報道等によれば事実みたいだし、正直社会人をしばらくやってきた経験からも納得できる話ではある。

日本の博士の就職難問題は博士が100人いる村で数年前に知ったが、当時は冗談みたいな話だと思っていた。ところが、東京新聞「博士号”難民”1万2000人の嘆き」なんかを読むうちに次第に深刻さが伝わってきた。最近のニュースだと、職が見つかりやすいと思われていた工学系でも平均すると出願者の競争倍率が0.65倍だとかで、倦厭されているのがよくわかる。詳しくは下の記事参照。

http://w-it.jp/shima/2008/03/post_27.html

日本の根底に流れる平等意識というのは根強いもので、これはこう書いている僕も例外ではなく、基本的には皆を皆と同じように扱わなければならないというのがこの国で育ってきた人間の自然な気持ち。そうなると、高い専門性を持った博士号取得者を日本企業が敬遠するのは至極もっともな話で、「どうせ同じ様な(専門性の高くない)仕事をやらせるし、似た様な給料を払うのだから、まっさらな若い新卒がいい」というのが何と言うか流れなんだろうと思う。
しかしこれは非常にもったいない話ではある。専門的に何かを勉強してきた人にはその何かに絞って力を発揮してもらえばいいし、他の事は大の苦手だけれども、あるひとつのことに限っては光り輝くパワーを発揮する人間がいれば、そのパワーを遺憾なく発揮出来るポジションに置いておくのが社会の為というものだろう。こう書いてしまえば「そうだそうだ」とほとんどの人は賛同して頂けるだろうけれど、実際にこれを会社や組織で実践しようと思ったら、間違いなく難しい。
逆に言うと、自分の専門性をいかんなく発揮出来ているポジションに現在就いているという人は、かなりラッキーなんだと考えた方がいいかもしれない。