貧乏臭いプログラム

ユーザインタフェースのプログラムといえばすっかりグラフィカルユーザインタフェース(GUI)があたりまえになりました。ところが最近の計算機はメモリもディスクも大量に装備しているし CPUパワーも従来とは比べものにならないのに、意外と貧乏臭いインタフェースが生き残っているようです。

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もう何年も前に書かれたと思われる、現在Appleにお勤めらしい(凄いですね)増井俊之さんによる文章。誰にでも思いつきそうな「コロンブスの卵」的な話であるが(この言葉のこの使い方ってあっているのだろうか)、非常に示唆に富んだ文章であると思った。というか、現在もここに書いてあるような話は実体験として感じている。僕が開発に関わるERPシステムは個人向けでなく企業向けということもあってUIは重用視されていないことと合わさって、かなり貧乏臭いUIをユーザに提供している。僕らは自分で描画するような事は無いけれども、ここに書いてあるような「検索キーワードが変更される度に検索する」といった様な動きはまだまだ実現されていない。しかもクライアントがブラウザではなく、表現力が豊かだとされているWindowsアプリケーションであるにも関わらず、だ。
しかしよくよく考えてみると、企業向けのソフトウェアが個人向けソフトウェアよりもUIが弱くていいなんて不思議な話だ。企業向けのソフトウェアは仕事の効率、つまり会社の業績を左右する存在であるのに対し、個人向けのソフトウェアは個人の娯楽や趣味の為の存在であることも多い。だとすればエンドユーザの効率を大きく左右するUIに多くの関心が払われても良さそうなものだが。我が社だけの状況だろうか。それともバッチ処理等に掛かる時間が大きすぎて、UIにおける効率の向上なんてものは無視出来る程小さいということなのだろうか。