20071024

Yes-Noで回答を迫られると答えられない。いや、決断力はある方だし、優柔不断というレッテルを貼られたことも皆無だったと思うが答えられない。これは純粋に質問者側の問題だと思っているのだが、聞いた人間によって解釈の仕方が違ってくるような質問にどうしてYes-Noで答えられようか。例えばこの間、某テレビドラマの広告に「命はお金で買えますか?」という勇ましいキャッチコピーが書かれていた。この質問はまさに「答えられない質問」、「聞いた人間がそれぞれ別の解釈をする質問」なのだ。以下の様な返答が予想出来る。

  • 「いいえ、死んだ人間はいくらお金を積んでも生き返りません。」
  • 「はい、お金がたくさんあった方が、健康を長期間維持できる可能性は高いと思います。」
  • 「いいえ、貧富に関係なく医療は平等に全ての人間に提供されるべきです!だから国家は社会保障を充実し…」

どれも違った解釈をした人から出た答え。これらの人が同じ部屋に集められて議論している様を想像すると、それだけで頭が痛くなるというものだが、実際にはこういうことはしょっちゅう起こっているんだろうな。