正高信男「考えないヒト」

考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

考えないヒト – ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

著者にはかなり申し訳ないが、正直に感想を述べると、若者に対する鬱憤が溜まっている年配の方が溜飲を下げる為に読む本の様に思えてしまった。
確かにケータイに代表されるIT技術の進歩は我々を、特に若者を大きく非文化的、非常識、非人間的な存在へと変えていっている面はあると大いにあると思う。ケータイやネットに依存し、コミュニケーションも上手く取れず、キレやすかったり家族とも良い関係が保てていなかったり、そういう若者は多いだろう。そして考えない人間が増えているであろう事も感覚としては納得する。もちろん僕はまだ30年も生きておらず、過去がどうだったかなど肌では知らないが、まあ一昔前は今よりも色々と考えなければならないことが多かったのは事実だろうと思うし、我々や我々より若い世代の人間が、IT化により節約できた時間を何か他の事に有効に投資しているかと言われれば、まあほとんどの人間はしていないだろう。
しかしこういう話を読んだり聞いたりすると必ず思うのだけれど、例えば電話が無かった時代の人間は、電話が当たり前の世代の人間よりも(例えば)考える人間なのか。郵便システムが無かった時代、自動車が無かった時代、印刷技術が無かった時代、飛行機が無かった時代、電気が無かった時代、果ては言葉が無かった時代はどうか。昔は良かった的な意見を言う場合には、必ず今語ろうとしている「昔」よりも昔の話を考慮してからにしてもらいたい。近年のIT化だけが人類が今まで歩んできた技術の進歩の中でも特別な存在だというのであれば、その根拠も示してもらいたい。
あと枝葉に突っ込むようだけれども、第四章の「文化の喪失」にて「ルイ・ヴィトンが売れているのは商品が良いからではなくて、マスコミに取上げられているし、皆が持っていていて自分が持っていないとつながりを保てないからだ」、「ハリーポッターが売れたのは外国で評判になったから」と主観で決め付けているのにも関わらず、その直後に「「バカの壁」が売れたのはタイトルが注目されたのがきっかけだけど、その真面目な内容が受けた」と日本人の同業者には妙なフォローを入れている。「「蛇にピアス」も「名作だけど、本来ならばあまり売れそうもないのに売れた」」とも言っている。完全に主観と事実を混同している。「バカの壁」と「蛇にピアス」は内容的にも良いのだけれど、ルイ・ヴィトン(多分ハリポタも)は良くもないのに皆踊らされて買っている、ということらしい。別に著者がヴィトンが嫌いならそれはそれで良いのだけれど、こんな書き方では若者に説教する為に都合が良いからルイ・ヴィトンを担ぎ出したおっさん、という構図にしか見えない。昔、若者の長髪が嫌いな中年の男性が、長髪の若者が風邪をひいたときに「君はそんなに長髪だから風邪なんかひくんだ」と無茶な理論を展開していたのを聞いたことがあるのだが、それと似たような印象を受けた。