松坂ブームで気付いたアメリカの敷居の低さ

アメリカっていう国は、とにかく大抵の物事に対して敷居が低い。これは純粋に人の気持ちの問題であるのだが、アメリカっていうのは「まあとりあえずこっちに来て一緒にやってみようよ」と声を誰にでもかけているような国だと思う。だから初心者に対して非常に優しいんだと思う。
松坂関連のニュースを見ていてその考えが急にまとまった。

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テレビを見ていると「MATSUZAKA」とダンボールや顔にペイントした熱狂的なファンがたくさん映る。ただ察するに彼らはあまり松坂のことは知らないだろうし、あまり熱心に知ろうとは思っていないのではないだろうか。「なんか松坂ってすげーのが日本から来たみたいだから、とにかくMATSUZAKAって書いとけ、書いとけ」くらいのノリで球場に来ているんじゃないかと思う。これが日本であれば「お前ら松坂のことどんだけ分かっているのか」みたいな雰囲気が全体としてあって*1、あまりよく知らない内から馬鹿騒ぎは出来ないというか、「そんだけ騒いでいるんだったら、当然松坂のことよく知っているよね」みたいなプレッシャーを少なくとも感じてしまうのではないだろうか。
アメリカで何度かスポーツを観に行ったことがあるが、とにかく皆楽しそう。そして地元のチームを信底応援することを楽しんでいる。ここは重要。「応援している」のではなく「応援することを楽しんでいる」のである。「応援を通して騒ぐことを楽しんでいる」がもっと適切かもしれない。そして意外な程その地元チームについて詳しくなかったりする。スター選手に対して平気で「あいつは凄いじゃないか。一体誰なんだ」くらいのことを言っている人もいたりする。繰り返しになるが、日本であれば雰囲気が大分違うだろうと推測する。「そんなに大騒ぎで応援しているくせに、○○選手を知らないってどういうこと?」みたいな雰囲気が必ず生まれてしまうように思う。
アメリカという国はとにかく門戸を広く開けてくれる国だ。日本と比べれば一般的に何にでも当てはまるのではないかと思う。多分教育も顕著な例だろう。その分何かを始めておいて挫折する人も多いのだろうと思うし、日本的に言えば中途半端に取り組んでいる人も多々いるのではないかと思う。しかしながら、コンスタントにあらゆる分野で一流の人材を生み出し続けるアメリカという国の背景には、この「敷居の低さ」は大きく関係しているのではないかと思う。簡単に言えば才能が埋没する可能性が極めて小さくなるだろう。
僕もこれからは、少しづつ人に対して敷居を下げることを意識したいなと思い始めた。初心者にはとりあえずやらせてみる。まずは難しい理論より、対象を楽しませることを重視する。知識もないくせに分かった気になって騒ぐのも良しとする。その彼|彼女が挫折してしまっても、別にまた次の対象を探せば良いと思うようにする。そんなことを心掛けたい。

*1:このエントリがまさにそういう雰囲気を醸し出しているかもしれませんが、僕は野球にまったく興味がありません。念のため。