会社は自分という商品の取引相手

「個と組織の関係や距離感」における「個の強さ」みたいなことを議論したい気がしている。またその観点で、具体的に何をしたらいいかという話に、だんだんにつなげられたらいいと思う。

「「個」として強く生きること」と「ウェブ・リテラシーを持つこと」の関係 – My Life Between Silicon Valley and Japan

「個と組織の関係や距離感」と言えば、僕が「アメリカ人と日本人の感覚って違うなあ」と感じたことのひとつがまさにその「距離感」。上手く言葉でまとめられないかもしれないが、一般的に言ってアメリカ人は会社を「取引相手」と見ている気がする。商品は自分。だから自分という商品の値段(つまり給料)の交渉もしっかりとする。一方日本では取引相手とはならず、自分がその主体の一部となる場合が多いように思う。つまり会社というのが自分を含む存在となる。
昔アメリカ人の友達の何気ない一言に驚いた。

—–



彼は大学院に通うために会社に労働時間の短縮を申し出た。「結果として労働時間を3/4とし、給料も3/4とした」と彼はさらりと言っていたのだが、僕は「この日本でそんなことは可能だろうか」と随分驚いた訳です。勿論そのような柔軟な環境が日本にひとつも存在しないとは思わないが(そしてアメリカならどこでもこれがOKとも思わないが)、総論で言えばNOだろう。これは上述した「会社を取引相手として見ているか」という日米の違いを表す例だと思う。つまり「今までの3/4の価値しかあなたに提供できなくなりましたので、値段(給料)を3/4にさせて頂きます」という契約変更を取引相手に申し出ることが出来るか出来ないかという違いが存在しているのだろう。
個人的な意見では「自分という商品の提供の仕方」はもっと多様化するべきだし、みながもっと真剣に考えなければならない問題だと思う。テクノロジーの進化はこの多様化を徐々に後押しするだろうが、それによる自然発生的な変化を待っていたのでは時間がかかり過ぎる。特にこの日本では。