新社会人へのメッセージを意識したブログのエントリや新聞記事をいくつか読ませてもらった。そして本エントリもそれを意識したもの、つまり同種のものであることをことわっておいた上で新社会人にはこう言いたい。「今まで見た聞いた新社会人へのメッセージは、一度ありがたく頂戴し、忘れろ」と。
なぜかと言うと、それが社会人への第一歩だからだ。
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だからまずこのブログのエントリをありがたくも読んでくれている新社会人がいたとしたら、読後に忘れるということを約束して欲しい。
大企業の社長の言葉、憧れの経営者やエンジニア、研究者の言葉、何年か前に就職した先輩や兄姉の言葉、彼らの言葉はどれも社会人としてのひとつの真実であり、彼ら彼女らが経験したことを踏まえた素晴らしいアドバイスであり警告である。そしてそれらは非常に有用なものであろう。それは間違いない。皆さんの非常に優れた「指針」となるであろう言葉なのだ。
でもお願いだから、これらを「指針」としないで欲しい。「○○さんがこういっていたから△△しよう」なんてことは絶対に思わないで欲しい。自分の考えで決断を下し、自分の下した決断に対して責任を負って欲しい。責任を負うというのは失敗したら会社を辞めろとかそういうことではなく、上手くいかないことがあったら自分の中で「○○のアドバイスのせいで失敗した」というような結論をつけるな、ということだ。自分のやり方でやってみるという決意をして欲しい。自分流であるということに自身を持って欲しい。
では諸先輩のアドバイスは何に使うのか。それは「検証」に使うのである。君らも何年かすると、必ず「何かおかしい」、「こんなはずじゃなかった」、「仕事がつまらない」、「なんでだよ、畜生」というったような想いに見舞われることだろう。そう感じるのは何も悪いことではない。ただ今まで自分がとってきた方法と世間の方法を照らし合わせて検証する時期が来ているのだ。「自分の選んだ会社が自分に合っていたのか」、「将来の目標と今までの仕事の仕方には整合性があるのか」など色々検証することはあるだろう。その為に諸先輩のアドバイスを使って欲しい。だからそういう意味では諸先輩方も新入社員にメッセージを発するのではなく、入社後しばらくした社員にメッセージを発してみてもいいんじゃなかろうか。
結局まとめるとシンプルなんだけど、「自分の頭で考えて実行して欲しい。いつか壁に当たったときに振り返って欲しい。」ということ。我々先輩はついつい先回りして君達に近道を用意しようとしてしまう。自分が経験した困難や時間の無駄なんかを君達にはさせまいとしてしまう。それが結果となって新人へのアドバイスという形で表れる。でもそれらの困難や時間の無駄が今の自分を形作ったということを我々は忘れてはいけない。その困難を自分の思考で突破してきたんだということに自身を持たなければ鳴らない。新人のひよっこが躓きそうな石ころをそのままにしておく勇気を持たなければならない。あ、新社会人向けのつもりが新社会人を迎える人や組織向けの書き込みになってもーた。
なんだか書き足りない感が強いけど、とりあえず終わりにします。最後にもう一度だけ、このエントリについては忘れてくださいね。