自然言語、いと難し

決してプログラミングの「自然言語処理」の話ではなく、実際に我々が日常生活で自然言語を使う上での難しさの話。最近つくづくこれの難しさを実感する次第でありまして、今一番困っているのが自然言語のあまりの扱いの難しさに日に日に喋る速度が遅くなっていることです。いやこれマジで。

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例えば「偉い」って言葉がある。「あの人は偉いねえ」とかそういう使い方する訳だけれど、これが結構曖昧な言葉じゃないですか。「会社のお偉いさん」とか「偉い政治家の先生」とかそういう使い方と、「まだ子供なのに親の商売を手伝っているなんて偉いねぇ」とかいう使い方って大分違う。前者の「地位が高い」とか「高位だ」という意味と後者の「立派だ」とか「品行方正だ」という意味はときとして相反するほど意味合いが違ってくるのに、なんでこれに同じ言葉を当てなければならないのだろうとか思い出すと、この言葉使えん。使うのを躊躇してしまう。だってコンテキストで容易に判断できる状況だったらいいけど、そうでなければ「高位だ」という意味で使った「偉い」に対して「あんな奴のどこが立派なんだっ!」みたいなお叱りを受ける羽目になりかねない。それがとてもめんどくさくあり、最近は喋るのが遅いわけです。関西弁の「たいへん」を意味する「えらい」だったら躊躇なく使えるのだが。。いや、それは関係ないか。
とにかくこんな状態だから質問にまず質問で返さないと何も答えられない性分になりつつあるのは想像付くでしょうか。「○○さんは偉い人ですか?」には「偉いというのはどういう意味合いでお使いでしょうか?」とか、「女性は機械だと思いますか?」には「機械というものをどういうものと定義してますか?」とかそういう質問を返さないと恐くてしょうがないんです。相手が持ってるイメージを具体的な言葉として引き出すまでは答えられません。相手というのが大衆であったりとか大人数になる場合には、相手が言葉に対するイメージを共有している訳はないので曖昧な言葉でしか答えられません。理由は恐いからです。相手の脳みその中なんか分からないのに、その濃霧その中身に準じて変なレッテル貼られたくありません。
こんなこと考えてたら「ああ、プログラミング言語って面倒くさくなくていいな」とか心底思って自分の暗さ加減にちょっと危険信号を感じた。でもプログラミング言語ではifはifでしかない訳で、コンパイラは書いたことを書いたとおりにしか理解しないし、つまりコンパイラは誤解も曲解もしないわけで、ホントいい奴なんですよ。付き合いやすい奴なんです。だからプログラムは早く書けます、はい。あ、ブログ書くのも結構早いかも。それは質問に答えてる訳じゃないからだろうか。