中間という存在に関する一考

Tech Mom from Silicon Valley : 「大人」と「ウェブ世代」のはざまで考える

異なる世界をつなぐ役まわりというのは、例えば「メディア」と「テクノロジー」の間をつなぎ、突破口をつくったスティーブ・ジョブスのように、独自の役割がある。単に間にいるだけではダメで、ジョブスや梅田さんのように、両方からリスペクトされる存在にならないといけない。ということで、これが、今日の自分への戒め。

何かと何かの中間に存在する人や会社には確かに独自の役割がある。しかも両サイドの間に存在する壁が高ければ高いほど「単に間にいるだけ」でも実は役に立ってしまう。ただ中間という役割はゴールが特殊なので、「何かと何かの橋渡し」を自認する人はそれを覚悟しなければならない。

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実は中間という存在のゴールとは「自分がいなくなっても世界が上手くいくようになること」なのである。これはその人にとっての利益のゴールというわけではなく、「全体を見た場合の経済的利益」という意味のゴールである。その人個人にとってみれば、両サイドに存在する壁を如何に高いままキープしておくかが「利益」という意味では重要になってくる。僕は就職するときに「代理店などの中間業者は止めておこう」と思ったのもまさにこの理由からである。
ユニクロなどの例を持ち出すまでもなく、近年中間業者がだんだんと消えていく傾向にあることは皆さんご存知だろう。さらに言えばインターネットの登場はラジオや雑誌やテレビ局といった「情報の中間業者」の存在をも揺るがし始めている。
「そうは問屋が卸さない」。問屋という存在の力が強かった、つまり壁が高かった時代に生まれた言葉なのだろうが、もう現代では死後になりつつあるんだろうな、とこのエントリを書きながら思った。