実名ブログに存在する限界

これは一考してみる価値があるかもしれない。

二十代は模索のときブログ ; プログラマとしての能力の男女差へのはてブコメント

当たり前。実名ブログの限界。

実名ブログでは、匿名ブログでは超えられる壁を超えられないのだろうか。

—–



二十代は模索のときブログ : プログラマとしての能力の男女差

そしてこの「アルゴリズム」を理解する、または組み上げる能力については、残念ながら男女差があるというのがプログラムの初心者何百人かを見てきた僕の感想だ。この能力に関しては男の方が長けているし、女性側はどうも好きになれないようなのだ。

例えば上記だが、おそらくこれが以下のような意見であったなら実名ブログの限界を超えていると判断されるに違いない。

女はアルゴリズム理解出来ないから、プログラマは無理。初心者を何百人も見てきたのでほぼ間違いない。男女の能力差が無いなんて断言する奴は似非フェミニスト。

ここで重要なのは、

  1. 僕は本当は後者のように書きたかったのに、実名に縛られて前者のように書いてしまったのか
  2. 後者のように書いたほうがブログとして面白いのか

の二点である。
1についてだが、当たり前だが僕は普段から実名で行動している。仕事でもプライベートでも実名で意見を表明し、実名で反論もするし、文句も言ったりする。それらの行動が「実名を公表していること」によって制限されているかと問われれば、おそらくしているのだろうがまったく意識できない。ただ大部分の人がそうであるように、自分が起こした行動により世間に迷惑をかけるようなことがあればその責任を取ろうと考えているし、そうならないように自分を律して生活をしている。それを「行動の制限」だと言われればそうだろう。ブログも一緒である。
一方2についてだが、これは正直人それぞれだろう。ネットという存在を限りなく隠せる環境を利用し、何らかの箍が外れてしまったような激しい意見を目にすることは少なくない。そしてそういったブログが面白いかと問われれば、「大抵初見は面白い」というのが僕の意見である。良く言えば「歯に衣着せぬ意見」、悪く言えば「暴言」といった類のブログは人の気持ちを扇動する力があるし、僕も読んでいて興奮を覚えることがある。だがそういったブログを購読するかと問われればあまりそういったことはしていない。自分のRSSリーダーを見てみても、自分という存在を明らかにしている人のブログが多いようだ。これは「匿名ブロガーの箍が外れたかのようなエントリ」よりも「実名ブロガーが存在を公表することにより律しているエントリ」の方を僕が好んでいるという証であると思う。
念のため断っておきたいが、上記のような議論が全ての実名ブロガー、匿名ブロガーに当てはまる等と言う気はない。逆の現象を目にすることだってある。ただ実名のブロガーが何か重い制約により、とがった意見しか述べられない傾向にあるかと問われれば、そんなことはないと言いたい。