マスメディアの報道を「森」と思い込んでしまうのは個人の責任なんだろうか。
Alternative 笑門来福 : 思考実験:2010年「殺傷ゲーム禁止法」制定
あまりにも痛ましい事件が多すぎる。
ここのところ立て続けに、少年少女や若者による、放火、殺人などの事件が起こっている。個々の家庭の問題や教育問題として取り上げられることも多い。しかし、これらの痛ましい社会現象に対してIT業界は積極的に取り組むことはできないだろうか。
圧倒的な情報の非対称性がある訳だし、マスコミに森だと思わせない責任があると思いたい。もちろん懸命な人間としては、マスコミに言われるまでもなく「これは木だ」と気付かなければいけない。日米安保闘争中の首相、岸信介は国会を取り囲むデモ隊を目前にして「これが国民のすべてではない。国民の『声なき声』に私は耳を傾ける。今日も後楽園球場は満員だったそうじゃないか」と発言したそうだが、その精神である(Wikiquoteより)。
しかしどうだろう、少年犯罪が増えていないにしろ、親殺し(こんな言葉使いたくもないが)が増えているんじゃないかって思ってしまう。これもマスコミに作られた虚構の森か。
読売新聞 : 豊中の母殺害、三男「兄2人と比べられうっぷん」
しかし、この間、耕平容疑者は「いつも、兄2人と比べられ、ストレスがたまっていた」といい、「(事件当日に)『24歳にもなって仕事もしないで』と言われて、うっぷんが爆発した」と供述している。
気になって調べてみた。
尊属殺人罪というのが廃止されてしまったようで、データが1995年までしかありませんが、未成年に関しては横ばいのように見える。全体としては増加傾向にあるように見えるが、昭和40年代までと比べると「あまり対したことない」というのが正直な感想か。もっと最新のデータがあれば良いんだけど。
じゃあ何故我々が虚構の森を信じてしまうほど、マスコミは過剰な報道を続けるのか。今後もう少しその辺を考えてみたい。