あくまで「経済的に」という話ですが、どうも清く貧しくを良しとする日本人の精神は、日本にとってマイナスなような気がしてならない。
livedoorNews : 福井総裁!金融政策よりもお金の貯め方教えてください
数億円とも言われる福井総裁の莫大な資産だが、一体どうやったらそんなにお金が貯まるのか?不思議でならない。福井総裁がこれまでどのように資産形成をし、そして運用してきたのか、自らのお金に対しての考えを我々一般市民に話して欲しい。そして、我々が少しでも豊かになるヒントを与えて欲しい。そのほうが、つまらない金融政策よりもよっぽどマシだ。
この記事が福井総裁を皮肉っているのかどうかは分からないが、少なくとも最近の福井総裁叩きの論調に乗った記事であることは間違いない(記者のブログを読ませて頂きましたが、どうやら皮肉っていることは間違いないです)。あと本題とは外れますが、例え福井総裁が何らかの方法によって資産を形成していたとしても、皆がそれをやり始めたらその方法ではお金は儲けられなくなりますよ。競馬のオッズを考えてみれば分かり易い。そして「ではなるべくみんながお金を儲けられる方法はなんだ?」を考えるのが「つまらない金融政策」です。
福井総裁が法をはみ出した行為をしていたというのであれば分かるが、お金を持っていること自体に批判の目を向けている人がいる。僕だって正直あまりいい気はしない。「いや、そんなことで批判しない」という方もいらっしゃるだろうが、例えば福井総裁が極貧の家の出身で、蛍の光で勉強していたような苦学生で、奨学金を返しながら社会人として経験を積み、ついには日銀の総裁にまで上り詰めた、というようなストーリーがあったら多少彼に好感を持つだろう。それは日本人的感覚なので特に恥ずかしがることではない。清貧を良しとする心は平均的に我々は持っているのだ。
だけど実利を見失ってまで清貧にこだわってしまうのは、日本の経済にとって本当に良いことなのだろうか。例えば米国の財務長官なんてゴールドマン・サックス出身の凄腕金融マンが務めるケースが多いが、おそらく無茶苦茶金持ちだろうし、一私企業と密接な関係を持っていることを考えると、日本ではまったく受け入れられないのではなかろうか。だけどそれが米国で受け入れられているのは、理由は簡単で「その職務を全うする能力があるから」だと思う。
我々にとっては、福井総裁が日銀の総裁として、公人として我々にどんな経済的利益をもたらしてくれるのかについて着目すべきであり、彼が溜め込んだ銭についてぎゃあぎゃあ騒いでる暇があったら、それこそ各個人が各党の推進している金融政策について考えてみるべきだ。税金や社会保障について自分で考えてみよう。もしくは労働を通して社会に価値を創造しよう。明日の日本経済はそれらの行動が創り出すんだと思う。
最後にもう一度言っておきますが、あくまで「経済的に」ということです。