WEB2.0とニューエコノミーの語られ方が似ている件について

こういうタイトルが流行っているのは何が発端なんだろう。

この記事が発端となって、ここここを中心に騒ぎが起きている。まあ僕としても

とはいえ,その技術力は投資家の評価材料にはなっても,営業売り上げを直接生み出しているわけではない。技術や技術力そのものに値段をつけて売っているソリューション・ベンダーなどとは異なるビジネスモデルである。

はひどいなぁ、というか誤解だなぁとこの記事には思うわけだが。ソリューション・ベンダー(こういう用語は好きではないのだが)が技術や技術力で生計を立てているなんて感覚はとても持てない(まあ広告にはそう書いてあるけどね)。
話を本題に移すと、なんかこの記事に対する反応を色々読んでいて思ったのだが、WEB2.0とニューエコノミーに対する人々の反応がなんか似ているのではないか、ということ。梅田さんのオプティミズムがこの論調の基となっているのであれば当然なのかもしれないが、何かWEB2.0という言葉を否定するのが許されない空気、というよりむしろ否定的な感覚、及び既存のものとのアナロジーで語ることが許されない空気が醸成されている。「おいおい、これってバブルじゃねぇ?」、「バ〜カ、ニューエコノミーだよ。今までの常識と照らし合わせるな」というどっかで見た構図が出来上がっている気がするのである。R30さんのブログに

今回の「Web2.0」はもともと何か具体的なサービスや製品を指すわけでもなく、実体のないただの言葉遊びだったので、2年後ぐらいには世の中から完全に忘れられてしまう気がする。2000年の頃によく言われていた「ニューエコノミー」みたいなのと同じようにね。

とあるように、両者とも実体がない言葉遊び、ではないかという懸念もそっくりかも。
上述の識者達が、そして世界のビジョナリーたちが、あえてWEB2.0という言葉を肯定的に捉えることによって「世界をより良いものにしていこう」という目的を達しようとしているのは分かっているつもりだ。というかむしろその為にWEB2.0という言葉が生み出されたという言い方も出来るだろう。それは素直に応援したいし、僕も微力ながら関わりたいと考えている。しかし一方で否定的な意見や、実体が無いが故に理解できないといった意見に耳を傾け、素直に吸収し、オプティミズムを基礎とした議論を精錬していかないと、結末までニューエコノミーと一緒になってしまうのではないか、そんな懸念を持ったわけである。
記事を書いた井出氏は、みんなが分からないと思っていることを「先生、それ分かりませ〜ん」と勇気を持って先生に問いかけた生徒の様に、すすんで道化の役割を買って出たものと思うようにする。