もし自分がエンジニアの採用に全権を持つことができたら、どのようなエンジニアを採用するだろうかということを最近よく考える。勿論まとまった考えなど出来上がっていないのだけれど、ひとつ思いついたアイデアというか着眼点を披露するとすると、それは「病的なまでに何かしらに拘ることが出来るだろうか」という部分を応募者の中に見つけ出し、そういう人を採用したいということ。
AppleのジョブスはiPodのテカリ方が気に食わないといってプロトタイプを突き返したそうだし、YMOもレコーディングのときに1000分の1秒の音のずれにまで拘ったというし、本田宗一郎に関してもそのような話を聞いたことがある。こういう拘りを持って仕事ができるかどうか。エンジニアにとっては重要な部分ではないかと思う。
勿論全てのことに拘り続けていては仕事は進まない。しかし全てのことに「まあこんなもんだろう」というスタンスで仕事を進めてしまう人が多いのもまた事実。「拘り」という生半可なレベルではなく「病的なまでの拘り」を持った人間と一緒に仕事がしたいし、自分もそうでありたいと思う。
ちなみにこういう病的な拘りを持ったタイプの人間は、人間そのものとしての人気はあまり無いタイプが多いのではなかろうかというのは正直気になる。
「二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ
猪浦道夫「語学で身を立てる」

- 作者: 猪浦道夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/02/14
- メディア: 新書
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「語学を勉強しよう」と思う方は是非読んでほしい。いや読みましょう。「語学で飯を食っていこう」という人にも勿論読んでほしいけれど、僕としては「語学を勉強しようと思っているけど、英会話学校とかに通わないといけないのだろうか」と考えてて、かつ知的レベルは高めだという方にこそ読んでほしい一冊。
経営破綻した英会話学校をはじめとした英会話学校のマーケティングの効果と、我々日本人の大多数が持っている欧米人へのコンプレックスのおかげで、日本の英語勉強感はまったくもって狂っていると思う。これは受験英語が間違っているとかそういう話を超えて、何の資格もない米国人の主婦のお小遣い稼ぎに高いお金を出して英会話を習いにいってしまったりとか、大学を出たばかりの適当な外国人を見繕った英会話学校に通ってしまうだとか、そういう「語学を勉強する事」に関する人々の思慮の浅さは多分とんでもないことになっている。きつい言い方のようだが僕はそう思っている。
誤解のないように言っておくが、本書はそういった世の中を批判している本ではない。ただまじめに、誠実に「語学でやっていくとはどういうことか、その為には何が必要なのか、語学で食っていっている人間はどういう人たちなのか、どうやって就職するのか、どうやって勉強するのか」といった事を書かれている。そしてこれらの情報は、「語学でやっていこうとまでは考えていないけれど語学を勉強したい」と考えている人間にもかなり有効なものである。是非一度読んでいただきたい。
寺本義也、山本尚利「技術経営の挑戦」

- 作者: 寺本義也,山本尚利
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/09/07
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正直に言うと、記録を付けるほどしっかり読んでいないのだが、言いたいことはある程度掴んだつもりである。まず目次だけ並べると以下の様になっている。
- 技術経営、第三の道
- 技術経営についての基本認識
- 日本型技術経営の栄光と転落
- 米国型技術経営の成功と曲がり角
- アジア発のグローバル技術経営の提言
- 技術経営の担い手たち
すごく簡単に要約すると「70、80年代の日本の技術企業は成功したのに90年代は駄目だったね。90年代はアメリカがすごく技術経営がうまくいっていたよ。それを取り入れつつ、次の世代の技術経営を考えないといけない。日本が駄目だった結果として青色発行ダイオードとかフラッシュメモリーの発明者とか米国に流れて行っちゃってるわけだし、もっときちんと考えないと勝てないよ」という感じだろうか。
技術の経営というのは理論としてしっかりと学者さんたちに研究してもらいたいと思う一方、そういったメソッドだけを持った人間が現場に入ってくるのはエンジニアとしては恐怖だな、という感想を持った。最もこの本を読む限りでは、技術というのはまだまだハードウェアを相手にした言葉であり、ソフトウェアの開発や研究のマネジメントというのは対象外にされていた感があるのだけど。
ブログの更新が滞る
Macbook購入したせいで、逆の様だけれどブログの更新が滞っている。ソフトのダウンロードやOSの設定やら他にやる事がたくさんあるのが原因なのだけれど、PC買ってネットやる暇がなくなるんじゃ本末転倒。こちらの更新もしっかりやっていきたい。
それにしてもWindowsとMacのキーボードの微妙な違いについては結構悩まされている。USキーボードにしてしまったというのもあるのだが、中々Windowsで身に付いた癖が取れずに困っている。なおかつWindowsのキーボードに対してもギクシャクしてきているので、今現在はどちらのキーボードの使用も覚束ないという状況。うーむ。
ちなみにトラックパッドを二本指で操作すると画面がスクロールするのは便利過ぎです。
魚住昭「野中広務 差別と権力」

- 作者: 魚住昭
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/05/16
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再び魚住昭氏の著書に手を出した。この間村上春樹氏の作品を一気に読んだときもそうであったが、どうも僕は気になる著者が現れると、その人の書いた本を飽きるまで読みたくなる傾向の持ち主らしい。とりあえず本作品を読んだ時点では魚住氏には飽きていないと思うので、次も彼の著作に手を出すかもしれない。もちろん予算と時間の範囲の中で、であるが。
本書は政敵を叩きつぶす策謀家として永田町で恐れられた政治家、野中広務氏の生い立ちからその政治生命が閉じられるまでを追ったルポタージュである。野中氏はその出自によって多くの困難を乗り越えてきたようであるが、こう言ってしまっては何だが、彼の人生を傍観する立場、つまり本書の読者にとっては非常に興味深い部分であるというか、政治家野中広務の核のようなものがいかにして形成されていったのか、それを考える上での大きな材料になっている。
また本書で非常に面白い部分であると僕が感じたのが、魚住氏は単なる傍観者としてではなく、野中氏を取材していく上で彼と野中氏の間に生まれたある種の空気というか、確執というか、そう言ったことまでを本書に余すことなく記していることである。つまり、魚住氏も野中広務という政治家の人生の物語を紡いでいるだけではなく、そこに自らも出現することにより、本書をいっそう刺激的な内容にすることに成功している。僕はそう感じた。
最後には佐藤優氏との対談が掲載されている。最初は「なぜ佐藤氏が?有名だからか?」と疑問に思っていたが、どうも野中氏と鈴木宗男氏は切っても切れない関係にいたというか、野中総理、鈴木官房長官というシナリオが一部では動い佐藤氏は相変わらず様々なことに詳しいようだった。
インストールしたソフト一覧
最近ありがちですけれど、僕もMacにインストールしたソフト一覧をこちらに纏めていきます。このエントリは随時更新する予定です。
Macbookからの初ポスト
とりあえず、Macbookからの初ポストです。日本語と英語との切り替えの違いとか、キーボード配置の微妙な違いとかWindowsにすっかり慣れきってしまった僕には今のところ辛いけれど、まあすぐにこちらが標準になるだろう。
森田実「自民党の終焉」

- 作者: 森田実
- 出版社/メーカー: 角川SSコミュニケーションズ
- 発売日: 2007/10
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こ、これはひどい。今まで読書をしてきてあまり「ひどい本だ」とかそういう感想を持ったことがなかった記憶があるけれど、本書はどうにも僕には理解しがたい類の本である。
本書は政治評論家の森田実氏による自民党支配政治の終焉を予測した内容であるが、いかんせん完全に著者がバランス感覚を失っているので、「いかに小泉政治(特に経済)が駄目だったか」、「いかに小沢民主が素晴らしい可能性を秘めているのか」という内容をとうとうと、しかもあまり客観的とは言えない事実を根拠としてひたすらと繰り返している、という内容である。民主党を個人的に応援されるのは全然構わないのだが、自民党が参院選で大敗し、安倍総理が混乱のさなか辞任したことに乗じて、長年の溜飲を下げるかのような記述が目立つのはなんとも読んでいてかなわない。おそらく僕が森田氏とまったく同じ思想を持っていたとしても、このような著しくある一方の立場に有利なことばかりの記述で満足することはないと思う。
ある一部分だけを抜き出して、「ほら、こいつは変なこと言っているだろ」と言うかのようなやり方は嫌いであるが、以下の部分はどうしても気になったので抜粋したい。
pp.167
「従軍慰安婦は歴史的事実に反する」と言う者がいたら、その人は戦争のことをほとんど知らない人である。そうでなければ異常な人である。戦時中を知る者なら従軍慰安婦について軍の関与はなかったなどという無神経な話はとうていできないであろう。具体的な政府文書があるかないかは、どうでもよい問題である。
うーん。森田氏は本書でも述べているとおり玉音放送時点で中学一年生であったようなので、私の個人的な意見では戦前の人間と言うようりは戦後の人間だと思うが、どうにも戦争経験者と非経験者を区別したいのだろうか、このようなことを書いている。あと「関与があった、なかった」というのはちょっと論点とずれているんじゃないかと思うが、軍の施設だったんだから何かしらの関与はあって当たり前というか、論点は強制性にあったはずだと思う。「具体的な…」の部分はもうあまり突っ込まないとして、とにかく森田氏は小泉政権や安倍政権が行ってきた色々な事に、とにかく文句をつけて小沢民主の素晴らしさを訴えかけているのだけれど、バランスを欠いているばかりに上記の様な文章を書くまでに至ってしまった、というのが僕のおおまかな感想である。この本の内容だけで著者のバランス感覚を決め付けたくないので、公平な立場から日本の政治を分析したような著書でもあれば再度読んでみたい気はする。
渡辺明「頭脳勝負」

- 作者: 渡辺明
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/11/01
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とりあえず「将棋をちょっと観戦してみたいな」と思ったので、渡辺竜王の試みはある程度僕には効いたということだと思う。
本書は竜王の位でおなじみの、渡辺明氏による将棋解説本、及び将棋観戦方法解説本そして、棋士解説本です。この紹介で分かるとおり、新書ながら結構色々な情報が詰め込まれていて、将棋を様々な角度から、言ってみれば「将棋という世界」を紹介している様な本である。どちらかというと、「将棋ってルールはまあ知ってるけど(ちなみにルールも本書で解説されています)、なんか観戦したり指したりする気はなくてねぇ」という僕みたいな人間に向けて書かれている本である。
竜王は意図的に「居飛車」、「振り飛車」、「穴熊」など専門用語を多く使い、そしてそれらの意味合いを解説することにより、我々に「まず形から将棋に入ってみなよ」というメッセージを送っているものと思われる。僕はスポーツ観戦にはほとんど興味はないのだが、友人達が野球やサッカーの談義をしているのを聞いていると、確かにプロ並みに戦術とか戦法に詳しかったりする。彼らはそれを実践できる訳ではないのだが、そういう知識を元にスポーツ観戦を何倍も楽しいものにしている。そういう人々を将棋の世界にも増やしたい、それが竜王がこの本に込めた願いだろう。
ただひとつだけ思ったのが、トップクラスが何千万単位の賞金をもらえる将棋は、少なくとも既にある程度のファンがいるものと思われる。比べてどうこうという訳ではないのだが、例えばこれがバスケットボールだったりすると、今でこそプロが少しずつ注目されてきたりしているが、それでも国内トップクラスのバスケットボールプレイヤーでも、年収は一千万に届くか届かないかというのが現状だろう(スポンサー等がつけばもっともらえるだろうけど)。それを思うと、少し渡辺竜王の試みは欲張りな気がしないでもなかった。あくまでも、単純に比べられる話ではないのだが。