二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

各地で話題になっているので購入してみたが、これが滅法面白い。最近の僕の傾向として、理系の大学教授が書いた新書を好むのだが、これもまさにそんな一冊。なんと言うか、その一冊が自分を知的な旅へと誘ってくれるような、そんな独特な感覚を味わうことが出来る。「書籍にはやはり知的興奮がなくては」という方でまだ読んでいらしゃらない方、是非ご一読をお勧めします。
本書は「生物とは何か」という根源的な問いに対して著者自身が答えを出そうとしたその経過を記したものである。我々は普段そのような問いかけをすることはあまりないが、「生物」と「無生物」というものを無意識のうちに判別しているし、何かをその境界に見てとっているはずである。それは一体なんなのか?それを追っていくのが本書のテーマである。
しかしながら、何故か大学の教授というか研究者達による、研究の成果を巡る競争ばかりが頭に残ってしまった。研究の世界では一番最初に発見した人にしか栄誉は与えられず、二番目以降の人には価値はないらしく、一番を巡っての激しい競争があり、特に卑怯な画策もある。確かに世間からの評価という意味ではそうかもしれない。グラントを得ないと職を奪われる教授たちによっては死活問題なのかもしれない。しかし彼らは純粋に知的好奇心に掻き立てられて研究を続けているのではないのだろうか。知的好奇心を満たすことは、二番目の発見者には出来ないのだろうか。そんなことはないのではないか。
プログラムの世界にも「車輪の再発明」という言葉がある。僕は別に車輪の再発明でも構わないと思っている。先人が達成したことをなぞるだけの行為にはそれなりに意味があるはずだ。再発明中の時間は無駄にはならない。それに再発明をすることで、その発明品に対する新たな代替案や改善案が生まれるということもあるのではなかろうか。確かに車輪の再発明ばかりしていては何事も前には進まないが、その言葉が何かの行動の足枷になるようではいけない、そのように思う。

コンラートローレンツ「ソロモンの指輪」

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

動物行動学の始祖(らしい)であるローレンツ教授による、動物への好奇心と愛情に溢れた一冊。あまり興味のある分野ではないのだが、http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070721/1184982777で紹介した鈴木宗男氏と佐藤優氏の対談の中で、佐藤氏がインテリジェンスの教育の参考になる本として
挙げていたのをきっかけに購入してみた。
この本を読んでつくづく思うことは、まあ当然と言えば当然であるが、我々は彼ら動物の一員であるということである。彼ら動物が時々「まるで人間みたい」な行動を見せることがあるが、それは考え方が逆であり、ただ我々が彼らと同じ特性を持っているだけのことである。そういう話は本書に色々と出てくるが、「ボスの妻となったメス鳥の態度が急に大きくなり、周りの者に強気な態度を見せるようになった」というエピソードは強く印象に残った。まさに我々と一緒。いや、我々が一緒。

Not Rich But Fat

デスクトップアプリケーションは死んだ – Kentaro Kuribayashi’s blog
違う、我々が欲しいのは電源をONにした瞬間起動するマシンだ。

仕事柄デスクトップアプリケーションを作る機会も多いのだが、AJAXをはじめとする最近のWEBアプリケーションのユーザビリティの進化を見ていると、デスクトップアプリケーションは「重いけどリッチじゃない」という存在になってきている気がする。最近WEBじゃインクリメンタルサーチとかGoogleサジェストみたいな機能って当たり前になってきているけど、デスクトップアプリケーションではその辺の機能はあまり見ないというか、少なくとも僕が仕事で扱っているエンタープライズ分野のUIは非常に貧弱だ。もともとブラウザは「Not Rich But Thin」という存在だったはずなのに、いつのまにやらデスクトップアプリケーションは優位であったはずのリッチさでもブラウザベースのWEBアプリに負けようとしているようだ。

新時代に相応しいエンジニア

以前祖父から貰った手紙に「新時代に相応しい生き方をしなさい」と書いてあった。まあそのとき僕は結構ふらふらしていたし、所謂普通に大学を出て就職をしてというパスを歩いていなかったので、その僕に対する祖父なりの配慮の言葉だったように思う。
でも今になってその言葉を思い返す。今僕はソフトウェアのエンジニアをやっているが、来る新時代に相応しいエンジニアになっているか、またはなれそうか。そういうことを常に考えていかなければならない。もう新しい時代はすぐそこに来ているから。

プログラマに必要なもの

プログラマに必要だと僕が考えるもの。三大美徳とか色々あるけれど、僕自身の言葉で語ると以下の様な感じ。

  1. 偏執的なほどの美意識
  2. 高い高い集中力
  3. 動作の仕組みやトラブルの原因を追い続ける執拗さ

日本人らしく三要素にまとめてみましたが、皆さんだったらどうですか?

個人的に応援しているバンド「Le Fou」

このブログのいつもの話題とはちょっと趣向を変えて、僕が個人的に応援しているバンドの紹介。Le Fou(「るふー」と発音する)は現在彼らの初ツアーである「Inifinity Tour」を鋭意敢行中の五人組です。以下にツアーのスケジュールの動画を掲載するので、ご興味のある方は是非ご覧になって下さい。

まだまだ荒削りな彼らだけど、初ツアーで色々なものを吸収し、さらに良い音楽を皆に届けて欲しいと思う。

彼らの公式サイトへは以下からどうぞ。

アプリ攻略ゲームマスター

自民党歴史的大敗

第21回参院選は29日午後8時で投票を締め切り即日開票された。開票はまだ続いているが、自民党は岡山選挙区で党幹部の片山虎之助参院幹事長が落選するなど、自民党の惨敗は確実になった。しかし安倍晋三首相は同夜、首相公邸で記者団に対し、選挙結果にかかわらず続投する意向を表明した。しかし、参院では野党が過半数を確保するばかりか、民主党が参院第1党になるのも確実な情勢だ。安倍首相は内閣改造などで人心一新を図り、挙党態勢を改めて整える考えだが、参院の国会運営の主導権を失ったままでの政権運営には困難も予想され、今後の政局は不透明になるのは必至だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070729-00000074-mai-pol

選挙の結果なんてのはそのときそのときの水物だし、年金がどうのこうの、外交がどうのこうの言ってはみるものの、どこの政党に任せてもまああまり変わらないだろうというあきらめもある。しかしながら、やはり一党による長い支配体制が続いているというのは健全な状態とは言えないとずっと思っている。水でも何でもそうだが、流れの無いものはいずれ濁る。その意味では、今回の参院選の結果は喜ぶべきなんだろう、僕としては。

ジョージ・ポリア「いかにして問題をとくか」

いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか

結論から言うと数学を学ぶ者だけでなく、働く人は一度は目を通す価値ありだと思う。
本書はポリア教授により、数学の問題を解くに当たっての考え方の手順や方法を学生にどの様に教えるか、という目的で書かれたものである。が、どんな数学の問題にでも当てはめることが出来るように、その手順は十分に抽象化されている為、数学を超えて、色々な物事の問題を解決するときにも使える内容になっている。一度は目を通しておき、ポリア教授の言葉を頭に刻んでおくと有意義だと思う。
正直本書は大分前に購入したのだが、日本語の表記が若干古めなことと、独特の内容にいまいちついていけず、ずっと本棚にしまってあったのだが、今回久しぶりに取り出してみると名著であることが分かった。それだけ自分が成長したのではないかと思う。
ただし記述は非常に冗長。1ページ目と最後のページにポリア教授の手順を整理した表(リストと呼ばれていたが)が載っているのだが、中身は延々とこのリストの内容が繰り返されているので、このリストをまず頭に入れ、続いて最初の何十ページかを読めば、後は飛ばし読みでも構わないと思われる。

イアン・スチュアート「若き数学者への手紙」

若き数学者への手紙

若き数学者への手紙

凄く面白く読めた。数学系の読み物が好きな読者だったら楽しめるだろうと思う。
タイトル通りなのだが、本書はおそらく老齢の、そして数学者としての経験が豊かなある教授が、これから数学者への道のりを歩み始めようとしている「メグ」という架空の若者に対して送った手紙、という形式になっている。メグは大学で数学を専攻し、大学院に進み、やがて数学者としての職を得ていくのだが、その要所要所でこの教授からの手紙を受け取っている。我々はそれを読むわけだ。
手紙は全部で21あるのだが、全てが教授の数学への愛で溢れている。数学とはどんなものなのか、証明とは何か、数学が何故素晴らしいのか、世間が如何に数学を誤解しているか、数学者とはどんな職業なのか、大学で数学をどの様に教えていけばいいのか、そして数学は何をどの様に学んでいけばいいのか、などが手紙の内容である。別に数式が出てくる訳ではないが、手紙の内容は知的興奮を掻き立てるものがある。
この本は2007年出版なので、例えばインターネットなんかも話題の中に平気で出てくる。この手の本は内容が時代に即してないことが多いイメージがあるのだが、本書は大丈夫。
この教授からメグに何冊かの書籍が紹介されていたので、今度はそちらを読んでみようかな、と思っている。

Coolなモノを産み出す企業

つまり言いたいのは、部下からのレポートや数字をみて判断してるだけのトップがやってる企業には、こういうイノベーションは金輪際ムリだよね、ということです。自社製品に惚れて使い倒して、その面白さの本質に触れてない限り、カタログスペックに載ってこないようなユーザビリティの部分での勝負なんか、決断できるわけがない。任天堂にDSやWiiが作れてソニーにはできなかった理由も、根っこは同じかつシンプルで、そういうことなんじゃないかと思います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html

うーん、耳の痛い話。

僕は仕事でコンシューマ向けのモノを作っている訳ではないし、エンターテイメントソフトウェアを作っている訳でもないので、そこにWillやiPhoneの様な画期的なUIとかそういったものは求められていない(もちろん、それが作れれば営業上の利益なんかはあるのだろうけれど)。しかしやはり、トップがユーザとして自社製品惚れ込み、惚れ込んでいるからこその要求を開発者に突きつける、という構造は、画期的な商品を産み出す為のひとつの重要な要素だと思うし、今働いている環境はそうなっていないという事実は何となく悲しい。
Paul Grahamが「Steve Jobsはthe most demanding userだ」という趣旨の事をスピーチで言っていたが、結局Appleが凄いのは、そのジョブスの要求と、それに答える従業員という構造なんだろう。また、UIなんてのは曖昧なセンスの問題だから、上を信頼していないと「また適当な要求出しやがって」と下の士気にも影響が出るだろうから、おそらく総体としてジョブスのセンスを皆信じているのだろう。
それにしても、iPhoneの開発をしていた江島さんの友達というのもCoolだ。

そしたら、実はiPhoneの開発をやっていたんですね。1月のiPhone発表のときにも、ジョブズが開発メンバーとその家族に感謝する一幕がありましたが、あのときに会場にいて、それまでの苦労がフラッシュバックしてぐっとこみ上げてくるものがあったと言います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html