二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ

グレゴリー・マンキュー「ガールズ・ムービー」

Greg Mankiw’s Blog: Chick Flicksを訳します。題名は迷いましたが、Chick Flicksに当たる言葉で日本で一般的なのはおそらく「ガールズ・ムービー」だと思いましたのでそうしています。

ガールズ・ムービー グレゴリー・マンキュー

I just saw the new Sex and the City movie. Even as a fan of the HBO show on which it was based, I was disappointed: It seemed like a hastily written made-for-TV movie.

先ほど映画版セックス・アンド・ザ・シティを観てきた。元々HBOで放映されていたシリーズのファンなんだけど、正直がっかりしたよ。HBOの思惑で慌てて作られたんだろうね。

What struck me most was the audience. I was one of only two men in the theater. My wife commented that a man had to be very confident in his masculinity to be there (but I think she may have been feeding me a line).

一番何が衝撃だったかというと、観客。映画館には僕を含めて二人しか男がいなかったんだ。妻が言うには、あそこに居たことは男として絶対に秘密にしておいた方が良かったって(多分僕をからかおうとして言ったんだと思うが)。

For a much better chick flick, I recommend The Devil Wears Prada.

もっと面白いガールズ・ムービーを観たいんだったら、「プラダを着た悪魔」の方が断然お勧めだよ。

3G iPhone 登場

趣味的に、時間を見つけて色々な文章を翻訳していきたいと考えました。これはその第一弾です。
http://www.techcrunch.com/2008/06/09/the-3gps-iphone-arrives/

Apple announced its new 3G iPhone today. It is much thinner, much faster, and much cheaper than its predecessor. Starting at $199(with a two-year contract), you get an 8 gigabyte device with GPS that works on AT&T’s high-speed 3G network (as opposed to the slower EDGE network all previous iPhones are bound to). A 16 gigabyte version will go for $299. Considering that the current 8 GB iPhones cost $399, that is quite a steal. The battery is supposed to support 300 hours of standby time, 5 to 6 hours of Web browsing, 7 hours of video, and 24 hours of audio. But talk time is cut in half from 10 hours to 5 hours, when using the 3G network. The launch date is July 11.

アップルは同社の新製品である3G iPhoneを今日発表した。同機種は以前のバージョンよりも薄く、そして高速、さらには低価格となる。199ドル(二年契約)でAT&Tの高速3Gネットワーク上で動く(以前のバージョンは比較的遅めのEDGEネットワーク上で動作していた)GPSを搭載した8ギガバイト版を手にすることができる。16ギガバイト版は299ドルとなる予定。現在のiPhoneが8ギガバイトで399ドルであるのと比べると、かなりのお買い得だと言える。バッテリー寿命は待機状態で約300時間、ウェブ閲覧では5、6時間、ビデオ鑑賞では約7時間、音楽鑑賞では約24時間となる予定。一方通話時間は以前の10時間から半減して5時間となるが、これは3Gネットワークを使用した場合である。発売日は7月11日となる。

Jobs claims that the 3G network approaches the speed of WiFi. What is really going to be a game-changer, though, is the higher speed in combination with the GPS chip, which will open up a whole slew of location-aware apps (some of which we’ve already seen). That and all the new iPhone apps that will be built for it by outside developers.

ジョブズ氏は、3GネットワークはWiFiの通信速度に近づいていると主張するが、より市場にとって重要なのは、外部のデベロッパーが開発してくるであろうGPSを利用した利用者の居場所を検知するアプリケーション(そういったアプリケーションは以前にも搭載されていたが)が、新しいGPSチップとの組み合わせで高速に動作するという事実であると思われる。

Apple has already sold 6 million iPhones, notes Steve Jobs. This price drop and the new features should put Apple over the 10-million mark without a problem. Here’s a video of Steve Jobs going over all the features from the keynote (taken, appropriately enough, on a cell phone):

ジョブズ氏によると、アップルは既に600万台のiPhoneを販売している。この値下げと新たな機能により、間違いなくアップルは1000万台を超えるセールスを記録するだろう。

Appleという王制国家

もしも絶対権力者である王が類い稀なる人格、能力、知見、その他の持ち主であれば、民主主義国家よりも王制国家の方が非常に効率的に物事が進むはずだから、素晴らしい国家が出来上がるのではないかと妄想したことが何度かある。その国では法案が無意味に行ったり来たりするこもなく、中途半端な折衷案も生まれない。時代遅れな法律を破棄する為に何年もかかることもないし、時代に即した取り組みを始めたと思ったら、もうその時代は終わっていたなんてこともない。ある人物や組織の面子を保つが為に不必要な予算が振り分けられる事もない。前述したように絶対権力者の能力が高いことが前提だけど、素晴らしい国家になるんじゃなかろうか。
正直に言ってあまり政治にも行政にも強い興味はないし、上記のような妄想をいつもしている危険人物でもないのだけれど、Appleにおいて如何にジョブズの変質的とも言える拘りが実際の製品に反映されているか、という話を聞いている内に「Appleは自分が妄想していた王制国家に近いのではなかろうか」ということを考え始めた。iPodやiPhoneも王制国家のAppleだからこそ作り出す事が出来たのではないかと想像している内に、まるでそれらの製品が古代の王国が作り上げた偉大な建造物、例えばピラミッドや欧州の美しい城のように思えてきた。
製品作りにおける正解というのは常にユーザーであるから、僕の妄想の中の類い稀なる王様のように高い能力の持ち主で、ユーザーの求めるものをビシバシと当てていくことが出来る人間がいるとすれば、その人の考えを追いかけるというプロセスが一番正しいプロセスということになると思う。ただしこれは非常に難しい。少なくとも普通に運営されている会社では難しいと思う。例えばiPodは美しいフォルムを優先させるため、バッテリーの交換が自分で出来ない作りになっている。もしデザイナーから「美しさを追求するため、バッテリー交換用の蓋を取り除きたい」という提案がなされたとき、その意思を製品に反映するところまで持っていける企業が果たしてどのくらいあるだろうか。僕のまだ短い社会人経験の中で想像してみても、例えばサポート部門、ケースを製造する部門といった組織が強い発言力を持っていたりすると「それではサポート部門の負担が大きく増すので駄目だ」であるとか「我々の開発したバッテリー交換部の部品にケチをつける気か」とか本来の製品作りとは関係のない部分で反感が生まれたりして、結果として計画が頓挫してしまったりだとか、折衷案によるツギハギ製品が生み出されたりだとかしてしまうと思う。iPhone(持ってないけど)においてばっさりとカメラの画質等が削られているという点についても同様である。「じゃあ○○部門の意見も取り入れてこの製品の△△はこうしよう」というような意思決定(適切か分からないが、民主主義的と呼ぶことにする)がなされている企業において、iPodやiPhoneのようなある意味「割り切った」製品を作り上げるというのは非常に難しいことであると考える。
しかし僕の想像の中では王制国家であるAppleではこれが可能である。どの部門も王の意思を実現する事を優先して動いている。王がバッテリー交換できなくても構わないから美しくしろと言っているんだからそうなんだし、カメラの画質を削ってコストを押さえろと言っているんだからそうするのであろう。対立がないわけではないだろうが、部門間の対立というよりは部門と王が対立するという事があるのかもしれない。各部門において王は共通の第一優先事項であり、ある意味共通の敵でもあるのかもしれない。Appleが大好きだけれども、別にAppleだったら何でも凄いとか言うつもりはない。おそらくAppleがもの凄く苦手とするような状況も多くあるのだろうと思う(一度は沈んだ企業な訳だし)。しかし製品を作る現場にいる人間として、上述したような「折衷案によるツギハギ製品」が自社から生まれないように努力はしたいと思っているし、Appleを多いに参考にしたいとも思う。

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

  • 作者: ジェフリー・S・ヤング,ウィリアム・L・サイモン,井口耕二
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2005/11/05
  • メディア: 単行本
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三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」

弁証法はどういう科学か (講談社現代新書)

弁証法はどういう科学か (講談社現代新書)

弁証法という言葉の意味するところが知りたくて購入。Wikipediaで著者の項目を見てみると、本書は著者のヒット作であったとのことだが、僕としても興味深く読む事が出来た。
当初の目的であった弁証法という言葉の意味するところを人に説明出来るようになったか、と問われれば出来ないのだが、それでも思考方法の一環として、思考の枠組みとして弁証法というものが利用出来そうであるという実感は沸いた。特に形而上学的な考え方との違いや、量質転化の話、否定の否定の話などは僕のような素人にも分かり易く、今後色々な場面で役立つ物の見方を得る事ができたのではないかと思う。
ちなみに僕はこういった自分の専門外の書籍の場合だと、普通に頭からじっくりと読んでいく様な読書は最近していない。時間の節約という意味合いもあるし、純粋にじっくり読む集中力が続かない、という理由もある。どうしているかというと、まず冒頭はじっくりと読み、途中からパラパラとかなりのスピードで一番最後までページをめくり、再度冒頭を読んだり、パラパラしていた中で気になった単語の書いてあったページを読んでみたり、またパラパラめくったり、というのをウダウダ繰り返しながら、「終わった」と自分が思えるまで本をいじってるという様なことをしている。

ianime.jsを利用した写真ビューア

少し前にオープンソースとして公開したアニメーションライブラリianime.jsを使って、ちょっとしたアニメーション・エフェクトを持つホームページを作ろうとしているところだが、すべてのブラウザーできちんと表示しようとすると色々と細かな問題点に行きあたる。

Life is beautiful: ianime.js でコジャレたホームページ作りにチャレンジ

そう言えば以前、JavaScriptの練習用にと思ってianime.jsを使用した写真ビューアを作ってみたのを思い出した。拙い作品だが、リンクしておく。

ianime.jsを利用した写真ビューア

もともとは「写真を次々と見るのにいちいちクリックするのは面倒くさい」的な発想から考えたものだったのだが、ちょっとこれが使い易いとは思えない(笑)。まあそれなりに楽しくはあったりするのだが。

「どの言語を学ぶか」ではなくて「どの言語から何を学べるか」

僕はプログラミング言語論争に首を突っ込む気は一切ない。好きな言語も嫌いな言語もあるし、各言語の長所や短所もある程度分かっているつもりであるが、結局どの言語を使うかなんていうのは、自分が勤めている企業や、自分の回りのエンジニアや、マーケットの状況によって決定されてしまう事がほとんどなので、決定されたものに自分をチューニングしていくしかないであろうと思っている。
ただし「どの言語を使おう」とか「どの言語を学ぼう」といった視点ではなく「どの言語から何を学べるであろうか」という視点から考えると、プログラマの成長にとってプログラミング言語の選択というのは非常に大切であろうと思っている。以前勤めていた企業では、製品の多くの部分がCOBOLにて実装されていたので、相当量のCOBOLの実装やデバッグを僕も行っていた。COBOLと聞くと「COBOLプログラマなんて駄目だよ」とか「時代遅れだよ」というような批判をする人が社内にも多くいたが、「プログラマとして、どういった観点でCOBOLプログラマだと駄目なのか」という部分にまで突っ込んで批判している人は少なかった。こういった思慮に欠ける批判から得るものはあまりないので、これを前述した「どの言語から何を学べるか」という観点から考えてみたい。
結論から言うと、結局COBOLでしかプログラムを組んだことがないのであれば、近年プログラムで解くべき問題を解決をする上で必要な知識や概念が身に付きにくいのである。言い換えると、COBOLという先生が教えてくれない解決方法が必要とされる問題が世の中にたくさんある、ということになる。一教えれば百学ぶ天才は例外として、COBOLしか扱っていないのに例えばオブジェクト指向の考え方や、マルチスレッドプログラミングに関連する技術を学べるのかと問われると、かなり難しいと答えざるをえない*1。まつもとゆきひろさんが以前講演の中で「言語は思考の為の道具だ」という意見と述べていたが、それと似た様な主張であると思って欲しい。つまりCOBOL先生にしか教わったことのない生徒であれば、ある問題に取り組むときにCOBOL先生が教えてくれた方法以外で解決方法を思考することが出来ないのである。それは問題だと思う。
前述したように「COBOLだから駄目だ」とか「時代遅れだ」とかいう浅い批判は論外であるが、もし僕が採用担当だとして、例えばJavaプログラマとCOBOLプログラマのどちらかを書類選考の段階で選択する必要があるとすれば、Javaプログラマを選ぶと思う。しかしそれはJavaだから選ぶとかそういう話ではなく、Javaプログラマの方が学ぶべき事を学べている確率が高いと思っているからそういう選択をするのである。当然面接の段階ではそれを明らかにする為の質問を投げかける。つまり「この生徒は先生からきちんと学んだだろうか」という事を確認する。そこで学べていないことが明らかになれば、何プログラマだろうが採用はしない*2。候補者を全員面接する余裕があるのであれば、基本的には候補者の特定の言語経験に左右されず、プログラマとして学ぶべき事柄をきちんと学んでいるかどうかをそれぞれに確認するようにしたいと思う。
ここに書いたことは大事な事であると思っているのだが、筆力の無さからあまり言いたい事が伝えられない。そんなもどかしさを久しぶりに感じた。 

*1:誤解のないように言っておくと、近年はこれらの概念をCOBOLでも積極的に取り入れている。ただし一般的であるとは思えない。

*2:当然社の状況などで、頭数を揃えなければならないという事も多いとは思いますが。

高野登「リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間」

リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間

リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間

先日同ホテルに滞在してみたことをきっかけに購入。リッツ・カールトンが大事にする精神を様々なサービスのエピソードと共に説明している。この手の本(と一括りにしてしまっては著者に悪いかもしれないが)が大抵そうであるように、実践的なノウハウ本ではなく、何と言うか抽象化された「心、精神、信条」なんかを語る本であるため、どんな仕事に就いている人間でも参考になる反面、書かれていることは極めて当たり前の事の固まりである。同ホテルが何らかのノウハウによって成り立っていないのと同様、「どのような精神で仕事に望めばいいか」というところにもコンピテンシーがある訳ではなく、このような理想を追求する事が出来る従業員を雇い、頑張ってもらい、成長させるといったサイクルを回す事ができるシステムを作った、というところに競争力があるのであろう。様々なエピソードには思わず拍手を送りたくなるようなものも多いが、これらの例の多くにはそれなりにコストがかかっている筈であり、それらのコストは普通に宿泊したゲストの支払った宿泊代から得た利益で賄われているのかと思うと、ちょっと「ずるい」とか思う人が出てしまうのではないかというケチ臭いことを考えてしまった。同じ事が一日二千ドルの決裁権の話にも言えると思うのだが、こういった「あるお客様の為にした特別なサービス」なんかを大々的に宣伝してしまうと、「私はそんな風にサービスを受けなかった」というクレームが発生するのではないかとハラハラしてしまうのだが大丈夫なのだろうか。要は「私にも同じだけお金をかけて下さい」という主張をするゲストが出てきてしまうのではないかと。同ホテルのリピーターは明らかに富裕層だろうから、そういうクレームは発生しないのかもしれない。逆にこの辺りに興味が出ちゃったりするのだけど、まあこれはさすがに内部の限られた人間しか手に入らない情報だろうな。

齋藤孝、梅田望夫「私塾のすすめ」

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

なんと言うか、この人達はつくづく大袈裟な人間なんだと思う。何が大袈裟なのかと言うと、物事に対する感じ方が大袈裟なのだ。読んだ本に書いてあった事や誰かが言った事、誰かの働き方や生き方や成した事にこれだけ感銘や衝撃を受けたり、怒りを感じたり出来るのはおそらく彼らが普通の人よりも物事に対する感じ方が大袈裟だからに違いない。そして僕はそういう人間が非常に好きである。例えば学生時代に何かをこよなく愛する人間が何人か回りにいたが、概して対象に対する感じ方が普通の人よりも大袈裟であった。思うにこの大袈裟に感じる力というのは、日々自分を奮い立たせる為のエネルギーとして非常に有効であるに違いない。齋藤さんの著書のタイトルっぽく「大袈裟力」とでも名付けておこうか。ちなみに事実をねじ曲げて大袈裟に回りに伝えるというのは「誇張」であってこの話とはまったく違う。あくまで大袈裟に「感じる」力が大事という話。
さて内容についてである。通勤時間も使って二度三度と全体に目を通してみたが、なんとなく梅田夫妻の生活の有り様が一番印象に残っている。自分が毎日ひたすら家に居るという生活は今のところ想像もできないくらいであるが、何となくこのスタイルになっても僕ら夫婦は上手い事やっていけるのではないかという感覚を持つことができた。また、ロールモデルというか憧れの対象とも言うべき人間を三人程度挙げてみて、その三人から「自分が何を求めているのか」という欲求を探し当てるというような話は試してみたいと思った。あと梅田さんの就職活動うんぬんの話はその時期の自分を思い出して思わず懐かしくなってしまったが、僕もどうにも入社式とかそういう輪に自分が属している姿が想像出来ずにもがいていた。梅田さんと違い、その当時の僕は社会からの逃避を選んでしまった訳だけれど、今でも続いているそういったものへの違和感というものの中に、上述した「自分が何を求めているのか」という問いへの答があるのかもしれない。それにしても、研修を受けることまで駄目とは極端ですね。
あとがきにあった彼らの戦いについては理解しているつもりではあるが、これを読んで若い世代が呼応してしまうのはちと怖い気がする。つまり、若者が日本に存在する閉塞感を言い訳にしだしたら嫌だな、と。自分がやれない理由をそこに当て嵌めてはいけないのだ。ただこういう事を齋藤さんや梅田さんなど上の世代が口にすると、とたんに閉塞感を生み出す側に加担してしまうことになるので中々難しい。多分、凄い我慢している部分があると思う。だから本書のような本に呼応して、若い世代から「社会がどうとか色々あるだろうけど、俺たちはそれを言い訳にしないで動こうぜ!」とかそういった声が出てくると良いのではないかと思う。少なくとも僕はそういう声を発したい。

シームレスな連携はなかなか達成されない

PCやゲーム機やTV等のホームエレクトロニクスと、携帯電話や携帯音楽プレーヤー等のモバイルデバイス、そして「あちら側」にあるネットサービスの三者間のシームレスな連携という意味では、まだまだ業界全体としてやらなければならないことが多くあるように思う。私の知っている限りでは、一般ユーザーから見ても「これはシームレス」と言えるものはまだiTunes StoreとiTunesとiPodの連携くらいしかない。携帯電話でさくっとPC上やflickrに蓄えた写真を検索して友達に見せることもまだ出来ないし、TVのCMで聴いてたまたま気に入った曲を即時モバイルデバイスに手早く購入することもできない。こういった作業というのは、実は今の段階でもやろうと思えば出来てしまうのだが、まだまだ一般の人から見れば技術者やこういったテクノロジーに興味の強い一部の人間だけのもので手が届かない、というのが正直なところだろう。そしてテクノロジーというものは、テクノロジーに強い興味の無い人間にまで届いてこそ輝くものである。
最近はこの三者に加えて、公共の場のエレクトロニクスとの連携も進んで欲しいと思ってもいる。例えば映画のチケットを購入する際にその映画に関する情報が自動的に携帯機器に登録されて、後でブログで紹介するときに使えるとか、そのブログを読んだ側の人間が、モバイルでその映画のチケットを購入し、近くの映画館に入るときはチケットレスで入れるとか。
こうした連携が中々進まない理由は技術的なものもあるだろうが、複数の企業、またひとつの企業内でも複数の部門が協力して進めていかなければならないというある意味政治的な理由も大きいだろう。AppleがMac、AppleTV、iPod、iPhone、iTunes等のラインアップを引っさげてこの分野をリードはしているものの、一社ではやはり限界がある。当然MicrosoftやSONYもこの分野での主要なプレーヤーになり得るだろうし、なりたいと強く思っていることだろう。競争原理は効率的な経済には不可欠だと思うけれど、覇権を握ろうとするあまりに独自の規格に走ったり、他者のデバイスに制限をかけるといった障害があまり発生しなければ、と願う。
いずれにせよ、まだまだハードウェア、ソフトウェア共に成さなければならないことはたくさんあるという訳だ。嬉しいことではないか。エンジニアにとっては。