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巨額買収時代の技術者の生き方

米マイクロソフト(MS)は1日、米ヤフーに買収を提案したと発表した。買収額は446億ドル(約4兆7500億円)。両社のネット事業の売上高を合計すると年間94億ドルに達し、グーグルの売り上げの6割程度に迫る。世界最大のソフトウエア会社であるMSとインターネットサービスの草分けであるヤフーの経営統合が実現すれば、ネットを中核とするIT(情報技術)業界の勢力図が大きく塗り替わる可能性が高い。

テクノロジー : 日経電子版

SkypeやYoutubeの買収、そして今回のMicrosoftによるYahoo!への買収提案。何千億円単位の規模の大きな買収が定期的にネット上や新聞の紙面、ニュースを賑わす(Yahoo!の件はさらに桁が違うが)。事の善し悪しは分からないけれど、自分がそういう時代に技術者として生きていることはしっかりと認識していなければならない。
これだけ大きな規模の買収の裏には、それなりの人数の技術者が居て、買収によって大きく人生が変わったりすることもあるだろう。それはある技術者にとっては大きなチャンスになるだろうし、ある技術者にとっては大きな損害となるのかもしれない。
自分はまだこのような大きな買収によって仕事を左右されたことはないが、このような時代に生きている以上、自社、または自分の行っている領域の技術にのみ強いような人間では、この時代を生きていけない。しかしそれは流行の技術にすぐ手を出す事とは違う。
技術の本質を見極める力、その為の知識、必要な情報を素早く選り分ける能力、語学力を含めたコミュニケーション能力、そういった能力に磨きをかけ、戦乱の世を生き抜ける技術者となりたい。

「当社はIT企業ではありません」

情報処理推進機構(IPA)は、人材不足が深刻化する日本のIT業界の現状を調査するため、IT人材についての実態調査を実施し、1月28日に結果を公開した。大学卒、大学院卒の新卒学生がIT企業に興味を持たなくなったともいわれているが、当のIT企業が新卒採用の課題として挙げた答えのトップは「業界の仕事のイメージがよくない」だった。

IT企業、新卒採用苦戦の理由は「仕事のイメージが悪い」:IPAが調査、理事長は「由々しき事態」 – @IT

やはりIT企業の不人気が深刻化しているようだ。このブログでは繰り返し述べてきたように思うが、そもそもIT業界とかIT企業なんていう言葉が意味するところは曖昧である。そうすると、この時代には如何に「当社はIT企業ではありませんよ」という印象を学生に持ってもらうのかが採用担当者のひとつの勝負と言える。寂しい事だが。

GoogleやFacebookがbest studentsに提示する高額オファー

ひとつ前のエントリで日本のIT企業(所謂IT企業って書いた方がいいかな)の採用に関するお寒い状況を話題にしたけれど、米国でのこんな記事を目にした。

Last year, salaries of up to $70,000 were common for the best students. This year, Facebook is said to be offering $92,000, and Google has increased some offers to $95,000 to get their share of graduates. Students with a Masters degree in Computer Science are being offered as much as $130,000 for associate product manager jobs at Google.

Google, Facebook Battle For Computer Science Grads. Salaries Soar. – TechCrunch

スタンフォードのような一流大学のコンピュータサイエンス学科を出る学生に対して、昨年までは7万ドルくらいのオファーが相場だったのだが、近年は今をときめくGoogleやFacebookが採用を強化しているおかげで値段がつり上がり、Googleが9万5千ドルものオファーを出すまでに至っている模様。これが修士になると13万ドルってちょw。ジャブジャブお金が使える程儲かっている状況を考慮に入れたとしても、日本の企業がここまでやると思えないないのでやはり「優秀なエンジニアを何としても集めたい」という強い意志があるんだろう。やはり組織の中で上手く動く人間を採用し「組織の力」を信じている日本の文化と、あくまで「個の力」を信じ、その力を強化することで組織を強くしようという文化である(と僕は思っている)米国の企業との差なのかもしれない。いずれにしろ、こんだけ貰える可能性があるのであれば、IT企業の学生における人気は高いだろう。

採用プロセスの中では当然プログラムを書かせるべき

反応を見ていると「プログラムを書かせるなんて当たり前じゃん」という世の中ではないようですね。

エンジニアの場合にはやはりコードを書いてもらうのが一番、という事で、いくつか用意したお題の中から好きなものを選んでもらって、30分から1時間くらいでコードを書いて動かしてもらう。大型の液晶テレビにパソコンのディスプレイを映してもらって、それを他の社員が見守る中コードを書いてもらっている。

コード面接 – jkondoのはてなブログ

絶対にプログラマの採用プロセスではプログラムを書かせるべきだろう。こう書いてしまうと当たり前の話で、バッターを雇うときにはバッティングをしてもらうべきだし、SPを雇うときは射撃や護身術の腕前を見せてもらうべきだろう。そしてこれは落ちなんだけど、今勤めている企業の採用ブロセスには一切こういうものがない。大丈夫かいな。いや、大丈夫じゃないかも。
プログラムを書かせるのはホワイトボードで構わないと思うし、特定の言語の知識とかを計りたい訳ではないだろうから、どんな言語で書いてもいいと思うし、なんなら擬似的な言語でも構わない。というか特定のライブラリなんかを使われることを避ける為にも疑似言語で書かせるというのは良いアイデアかも。
それにしても自分は人に覗き込まれたりすると異常に作業効率が落ちるタイプなので、はてなの様にたくさんの人が自分の作業を見ているのを意識しながらだと実力が十分に発揮できなさそう。多くの人にライブで見られている、というのは日常業務の中にそう存在するシチュエーションではないと思うので、見守るエンジニアは別室で見ているのが○かもしれない。

若きプログラマの価値観

基本的に商用言語って地頭が普通なら数ヶ月で覚えられるように出来ていて、逆にそうじゃなきゃ商売にならない。バッドノウハウを極めるには何年もかかるが、それこそ数年で廃れる技巧だし、会社に入って人柱として埋められてから積み上げれば済むことだ。大事なことはデータ構造とかアルゴリズムで、あとは社会に出てからの飲み込みを早めるに、オブジェクト指向っぽいCライクな言語*2をひとつぐらい覚えておけば良い。あとは大学なんだから、できるだけ世間で役に立たない才能の無駄遣い的な最先端技術に触れて、素晴らしい技術が流行るとは限らないことを思い知り、批判的な視座を持ちつつ頭を柔らかくしておいてくれることの方が重要だ。

大学で身につけるべきは技能より教養だろ – 雑種路線でいこう

今だから共感出来る文章だけれども、学生の頃というかちょっと前の僕でも共感が難しかったのではないかと思われる文章。この文面は主に大学批判だけれども、ちょっと学生側というかプログラムを側からの視点で考えてみたい。
いや、「考えてみたい」とか偉そうなこと書いてしまったけれど、結局「どんなことがかっちょいいのか」という価値観の問題なんですよ。血気盛んな学生の集まりの中でじゃあAVL木とかB-Treeのデータ構造がどういった用途に適しているだとか、SICPでLispの素晴らしさが分かったとかそういう話と、RoRでクールなページがさくっと出来たぜとかFLASHでカッチョいいアニメーションを作ったとかいう話とどっちが周りの人間に響くかといったら巧者な訳ですよ*1。そんな状況の中で硬派に教養を身につけようと考えられる学生というのはかなり筋の通った人間ではないかと思う訳です。事実、僕の勤めている企業に若いエンジニアが毎年は入ってくるけれど、硬派なデータ構造とかアルゴリズムとかフリップフロップとかそういう所を勉強しようなんてやつは滅多にいないです。基本はやれAJAXだRoRだっていう方向の話にみんな行っちゃいます。
僕も本郷の学生には軟派な方向に行ってほしくないって思うし(当然他の大学の情報系もそんな方向には行ってほしくないが)、それをしなければ明日の日本のIT業界なんて本当見えてこないんだろうけど、若い頃の価値観っていうのは結局周りからどう思われるのかってのがほとんど全てだろうから、自分の何分の一かってくらいしからプログラムを理解していない奴が自分よりも賞賛を受けている現状があるとしたら、そっちの方向に基本的には行っちゃうだろうなーと思います。

*1:江島さんのエントリを批判している訳ではないです。念のため。

成果主義が才能ある若者を潰すかもしれないという話

「成果主義」と聞くと、若く才能溢れる新入社員に大きなチャンスがありそうな気がするが、結局それは運用次第ということになる(まあ、世の中の大抵の事は運用次第だけど)。なにが「成果」なのか、を規定するのが古くからいる社員であったり、現在の体制で高評価を受けている人間だったりすると、悪意がなかったとしてもどうしても「現在の体制を守る」方に力学が働き、今現在自分がやっていることを高く評価する、もしくは新入社員が持っている「自分たちには不足している能力」を評価しないという体制が出来上がってしまう。これは僕だってそうだけれど、誰だって今の自分のポジションを脅かす様なことを積極的にする事はない。
それに「成果」というものは今までの社内での経験の積み重ねに大きく左右されるものである。極端な話であるが、会社の湯飲みが何処にしまってあるのかを知っているお茶汲みと、それを知らないお茶汲みの評価には大きく差が出てくるであろう。もし新しいお茶汲みが類い稀なるおいしいお茶を作るセンスを持っていたとしても、それがうまく評価されないようなレジームを作ってしまえばそのお茶汲みが評価されない様に仕向けるのは以外と簡単である。「お茶だけうまく入れられても駄目だよね」、「(社内的な事情)に詳しい○○さんはやっぱり凄いよね」的な発言が出てくるようなら、それは若者潰しの傾向の一つなんじゃないだろうか。

貧乏臭いプログラム

ユーザインタフェースのプログラムといえばすっかりグラフィカルユーザインタフェース(GUI)があたりまえになりました。ところが最近の計算機はメモリもディスクも大量に装備しているし CPUパワーも従来とは比べものにならないのに、意外と貧乏臭いインタフェースが生き残っているようです。

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もう何年も前に書かれたと思われる、現在Appleにお勤めらしい(凄いですね)増井俊之さんによる文章。誰にでも思いつきそうな「コロンブスの卵」的な話であるが(この言葉のこの使い方ってあっているのだろうか)、非常に示唆に富んだ文章であると思った。というか、現在もここに書いてあるような話は実体験として感じている。僕が開発に関わるERPシステムは個人向けでなく企業向けということもあってUIは重用視されていないことと合わさって、かなり貧乏臭いUIをユーザに提供している。僕らは自分で描画するような事は無いけれども、ここに書いてあるような「検索キーワードが変更される度に検索する」といった様な動きはまだまだ実現されていない。しかもクライアントがブラウザではなく、表現力が豊かだとされているWindowsアプリケーションであるにも関わらず、だ。
しかしよくよく考えてみると、企業向けのソフトウェアが個人向けソフトウェアよりもUIが弱くていいなんて不思議な話だ。企業向けのソフトウェアは仕事の効率、つまり会社の業績を左右する存在であるのに対し、個人向けのソフトウェアは個人の娯楽や趣味の為の存在であることも多い。だとすればエンドユーザの効率を大きく左右するUIに多くの関心が払われても良さそうなものだが。我が社だけの状況だろうか。それともバッチ処理等に掛かる時間が大きすぎて、UIにおける効率の向上なんてものは無視出来る程小さいということなのだろうか。

プログラマに向いていない人

プログラマに向いている人

「後で楽が出来るように、いま面倒をしておこう」

プログラマに向いていない人

「後で面倒な事になるかもしれないけど、いまは面倒だからこうしちゃおう」

さらに向いていない人

「こんなのこうすりゃ楽勝じゃん。うっしゃー(気づいてもいない)」

ユーザというのは今抱えている顧客のことだけではない

「ユーザの為にはこうするべき」
「それをやっちゃうとユーザに迷惑がかかる」
「ユーザはこう言っている」

こういった言葉を聞くとき、その「ユーザ」という言葉の中に「将来我が社の製品を買い、使ってくれるであろう人」は含まれていないことが多い。あくまでそれは「今抱えている顧客」の事を言っているに過ぎない。
勿論今現在製品を使ってくれている人が重要でないわけではないが、あまりにもそちらに傾いた思考が目立つなあ、というのが僕が仕事をしている上でよく感じる事。

「その変更、ユーザは喜ばないよ」

本当にそうだろうか。よく考えてから、つまり「今とこれから」を考えてからそう言ってもらいたい。

病的なまでに何かに拘れるか?

もし自分がエンジニアの採用に全権を持つことができたら、どのようなエンジニアを採用するだろうかということを最近よく考える。勿論まとまった考えなど出来上がっていないのだけれど、ひとつ思いついたアイデアというか着眼点を披露するとすると、それは「病的なまでに何かしらに拘ることが出来るだろうか」という部分を応募者の中に見つけ出し、そういう人を採用したいということ。
AppleのジョブスはiPodのテカリ方が気に食わないといってプロトタイプを突き返したそうだし、YMOもレコーディングのときに1000分の1秒の音のずれにまで拘ったというし、本田宗一郎に関してもそのような話を聞いたことがある。こういう拘りを持って仕事ができるかどうか。エンジニアにとっては重要な部分ではないかと思う。
勿論全てのことに拘り続けていては仕事は進まない。しかし全てのことに「まあこんなもんだろう」というスタンスで仕事を進めてしまう人が多いのもまた事実。「拘り」という生半可なレベルではなく「病的なまでの拘り」を持った人間と一緒に仕事がしたいし、自分もそうでありたいと思う。
ちなみにこういう病的な拘りを持ったタイプの人間は、人間そのものとしての人気はあまり無いタイプが多いのではなかろうかというのは正直気になる。