日々起きる問題にも色々な抽象度のものがある。例えば「現在トップページからのリンクが平均2秒掛かっているが、これを0.5秒以下に抑えたい」という問題ならば非常に具体的であるし、「最近、社内の雰囲気が悪い」とか「今年の新人はやる気がイマイチ」という問題であれば非常に抽象的である。どちらのタイプの問題も問題であることには変わりないし、どちらのタイプの問題が重要とかそういう議論をする気はないのだが、もし自分が後者の「抽象的な問題」にばかり口を出すようになっていたら危険信号だと思った方がいい。
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日々起きる問題にも色々な抽象度のものがある。例えば「現在トップページからのリンクが平均2秒掛かっているが、これを0.5秒以下に抑えたい」という問題ならば非常に具体的であるし、「最近、社内の雰囲気が悪い」とか「今年の新人はやる気がイマイチ」という問題であれば非常に抽象的である。どちらのタイプの問題も問題であることには変わりないし、どちらのタイプの問題が重要とかそういう議論をする気はないのだが、もし自分が後者の「抽象的な問題」にばかり口を出すようになっていたら危険信号だと思った方がいい。
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慶応大学ビジネススクールの岡田正大氏がITPro Watcherにて「ネット世代の企業戦略」という連載を行っているが、現在Googleの開発マネジメントの話題を扱っており、結構刺激的だ。いくつか抜粋しておきたい。
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404 Blog Not Found : プログラマーを目指す女の子はなぜ増えないか?
理由を考察する前に、プログラマーとしての能力に男女差があるかをまず押さえておきたい。
これは、自信を持って「ない」と答えることが出来る。
少数の特例のみに着目せず、あくまで平均を対象に議論してもそう言い切ることが出来ますでしょうか。
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http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060414/114499951
たいして中身のない人が、コミュニケーション能力を武器に、要領よく立ち回って得意げになってるのって、いやな感じですよね。
あのいやらしさって、どこからくるのでしょう?
もちろん、中身とコミュニケーション能力の両方を兼ね備えた人が理想なわけですが、現実には、どちらかに偏っている人はよくいます。そして、中身かコミュニケーションかのどちらかをウリにして自分の居場所を確保していることがよくあります。
この方、相当僕に似た意見をお持ちでらっしゃる。「コミュニケーション能力が売り」とか「みんなの意見を纏め上げて…」とか「個々人の能力を的確に掴んで…」とかそういうことを売りにしている人って、大抵一緒に仕事をしたくない人間が多い。大抵はそいつ自体は何でもない人間であるからだ。それで「出来るけれど、自己発信しないタイプ」の人間に寄りかかって生きていってるにも関わらず、そいつより評価されてしまったりする。だから採用面接などで、そういう言葉を口にする人間は大抵評価が下がってしまう。「まず君の価値は何なのかな?」そういう気持ちになってしまうのだ。
さらにこういう人間のような会社もある。高い技術力を持っているわけでもなく、製品がすごく良いわけでもなく、ただ「たまたまそのポジションに一番最初に入ってきた」だけの会社、要するにビジネスモデル(嫌いな言葉)が最大の武器のような会社である。個人的には、小生意気だけど、なんか気に喰わないんだけど、無愛想で宣伝下手なんだけど、製品があまりにも良すぎるから成長しちゃった、そんな会社が好きである。今は大分違うけど、AppleやGoogleはそういう匂いのする会社だ。
コミュニケーションが必要でないなんて思わないけれど、価値を生み出せる者同士のコミュニケーションじゃないと何の意味もない。だからまず、確かな価値を生み出せる人間になるように努力しているわけです、僕は。
4/9の朝日新聞朝刊に「バグ頻発デジタル製品」という記事があり、どれどれと読んでみると、非常に耳の痛い話だった。
デジタル家電などに内臓され、特定の機能をつかさどる「組み込みソフト」でバグ(欠陥)が猛威を振るっている。デジタル製品の高機能化が急速に進んでソフトの規模が大きくなっているのに、開発段階からプログラムのテストが追い付かないためだ。
猛威の例として、プリウスのエンジンが止まった、ソニーのウォークマンのバグが頻発、ブラビアで電源が落とせなくなったなどが挙げられている。またキヤノンや松下電器でも、ホームページの「重要なお知らせ」欄にはソフト修正の告知がずらり、だそうだ。
この記事によると、いまや製品開発のコストの7割はソフト開発費だそう。また、現在の携帯電話のソフトは、80年代の銀行オンラインシステム並みの複雑さを持っているらしい。
ソニーの中鉢良治社長は、技術系で人材が欲しいのは「ソフト部門」と言い切る。その枢要部門で技術者が「バグつぶし」に追われてしまうと、新規開発が遅れ、コストもかさむ。
という記事もあり、我々ソフト屋としていはまだまだ必要とされていそうなので嬉しいような気もするが、その需要を創り出しているのもこれまた我々だという構造になっているよう。耳の痛い話である。
ソフト屋としてあるまじき発言に聞こえるかもしれないが、僕は「バグは絶対に発生する」という前提を持った上で、それに対してどのように対策を立てるかが重要であると考えている。例えばデジタル機器を定期的にネットワークに繋げることにより、パッチを素早く当てることの出来る仕組みを作るとかそういうことが大事、ということ。
またWEB2.0っぽい考え方を持ち込むのであれば、各社ハードの仕様は完全に公開してしまって、Linux等のオープンソースを基に、基本OSの共同開発に乗り出すべきなのではないだろうか。当然バグは出るのだが、共通のソフトを使っていれば、バグの減少も共有できる訳だし、コストが随分と押さえられるだろう。そういった協力体制を組まないと、もう各社各様ではやっていけないほど複雑化な構造物を相手に我々は闘っているのだ。
仕事は決断の連続である。個人的には、自分で自分の仕事に関する決断を下せる環境が、成長をもっとも促進する環境だと思う。結果が成功だろうが失敗だろうが、誰かに指示されて実行した場合に比べて得るものが格段に大きい。
ただし成長を見守る側(上司や先輩)は、ただ成長してもらう側に判断を投げっぱなしにしておけば良い訳ではない。最近の民主党ではないが、先走った行動がリスクになる場合もある。ではどうすれば良いのか。
許可を得るのと報告は違う、というのを双方理解しておく必要があると思う。常に上司や先輩に、自分の行動を掴ませておくのである。上司側からすれば、簡単な報告を頻繁に受けておくのである。そうすることにより、超えてはいけないラインを超えるまで自分の決断で動くことが可能になる。逆を言えば上司はそこの見極めが出来なければならない。
いちいち上司に許可を求めなければ動けないような組織は成長に望ましくないし、半人前の人間が好き勝手に動きすぎる組織はリスクがでかい。この問題を解決するには、実は基本中の基本のホウ・レン・ソウが有効なのである。
本日の仕事への集中力は凄いものがあった。おそらくここ何ヶ月で一番の集中だったであろう。わずらわしいトラブルや会議が無かったこと、「ウェブ進化論」を朝の電車で読み終えてその気(どんな気だ)になっていたこと、加えて体調的な要素もあったであろう。
このような高い集中状態を意図的に生み出すことは難しくとも、集中力が高くなりそうなタイミングを知ることが出来ればハイパフォーマーへの道が拓けるというものである。コーディングに一心不乱になったときの開発者、そのとき脳はどんな働きをしているのだろう。識者が居るなら聞いてみたいものである。いっちょ人力検索してみるか。