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変化への対応を学ぶとき、見本とすべきは女性

フラガールスタンダード・エディション [DVD]

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変化への対応を学ぶなら、最高の先生は身近にいる女性だ。
昨日映画「フラガール」を観た。もちろんスクリーンの世界なので大きな誇張と共に描かれているが、基本的には「時代の変化についていけない(ついていかない)男性達(炭鉱夫)」と「時代の変化に自分も変わろうとする女性達(炭鉱夫の妻や娘)」という対比がテーマとなっている映画だ。繰り返す様に誇張はされているけれど、日常生活でも十分女性の変化への強さを感じることは出来る。似たような映画や物語はたくさんあるし、おそらく普遍的な傾向なのかもしれない。

さて、映画の舞台となっている昭和四十年代とは違い、現在はインターネットが世界を小さくし、そして変化を早くしている二十一世紀である。こんな時代には日々自分の中に変革を起こしていかなければならない。例えば技術者であれば、自分の技術に自信を持ったとたんに、今度は新しい技術の初心者となる。そういう行動を繰り返していかなければならない。

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メリットとデメリットを比較するな

別に僕は生き方の達人という訳ではないが、それでも「あぁ、この人は生き方が下手くそだな」と人に対して感じることがある。僕が言う生き方が下手くそというのは、結局のところ幸せ上手かそうでないかということなので、僕がそう感じる人と言うのは大抵幸せ下手な人である。
僕が人に対してそう感じるときのパターンというのはいくつかあるのだけれど、その内のひとつとしてメリットとデメリットを比較してしまう人、というのがある。

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我慢には+の我慢と-の我慢の二種類がある

別にどうという理由は無いけど書いておきたくなった話。

我慢には+の我慢と-の我慢の二種類がある。今自分の快楽レベルが通常状態にあるとして、何らかの快楽を得たくなったとする。これを我慢するのが+の我慢。「もっと高価な物が欲しいけど、我慢しなきゃ」みたいな我慢は+の我慢だ。
一方、今自分の快楽のレベルが通常より下にあったとする。この状態を我慢しなければならないのは-の我慢だ。例えば「夫のいびきがうるさ過ぎて毎晩眠れないけど、我慢してます」みたいな我慢は-の我慢だ。
非喫煙者の我慢と喫煙者の我慢を比較して議論しているのを見かけることがある。「喫煙者が我慢するか、非喫煙者が我慢するか」という様な話題が典型的だが、この+の我慢と-の我慢の違いを考慮して議論した方がいいのではないか、と個人的には思う。
ちなみに結婚生活では、+の我慢は考慮すべきであるが、-の我慢はしなくて済む様にお互い話し合う必要があるのではないだろうか。

新しい脳には誰がなれば良いのだろうか

これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8b5c071403ce1ab76cdd6e63860ea95b

僭越ながらこのPaul Rubin氏の指摘は、以前に僕が書いたエントリと同内容だろうと思われる(勿論レベルは圧倒的に違うだろうが)。

論理的に考えれば正しくても、感情的に(あるいは本能的に)受け入れがたいこと、ってのが世の中にはあると思う。例えば定率減税廃止、これに着目してみる。定率減税は廃止されるのに、高額所得者(3000万円以上だそう)に対する減税措置と、法人税に対する減税措置が廃止されないことに非難の声が挙がっている。「貧乏人からばっかり金とってどうすんだっ!金持ちから搾り取りやがれっ!」とついつい感情的になってしまいがちな話題だ。僕も例外ではない。

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060403/1144014802

みのもんた、つまりマスコミが我々の「古い脳」を代表する存在であるとして、我々の「新しい脳」を代表する存在には誰がなれば良いのだろう。よく分からないが、ひとつ肌で感じて分かるのが、日本という国は段々「古い脳」が支配する国に近づいてきているのではないかということ。これはテクノロジーの進化による変化だと思うし、この現状を変えるのもまた新しいテクノロジーではないかと思う。少なくともインターネットは、テレビよりは「新しい脳」側のテクノロジーではないだろうか。これは希望的憶測かも。

新社会人よ、いきなり頭でっかちになるな

新社会人へのメッセージを意識したブログのエントリや新聞記事をいくつか読ませてもらった。そして本エントリもそれを意識したもの、つまり同種のものであることをことわっておいた上で新社会人にはこう言いたい。「今まで見た聞いた新社会人へのメッセージは、一度ありがたく頂戴し、忘れろ」と。
なぜかと言うと、それが社会人への第一歩だからだ。

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曲解や誤解の無いことを期待してはいけない

追記。あと、なぜそう誤読するのかなと不思議に思うけど、「何でも褒めろ」なんて言ってないよ。いいなぁと思ったら(つまり心の中で褒めているときは)、以心伝心とか思って胸のうちに置いておかず、カジュアルにそれを言葉にしたらどうかと言ったのです。それだけで全体の雰囲気がずいぶん変わるでしょと。僕だって、褒めたいところがぜんぜんないのに褒める、なんてこと絶対にしないよ。

嵐のような反応を読んで – My Life Between Silicon Valley and Japan

以前のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070213/1171379213で言いたかったことなのだが、1対1で話すにしろ、ブログのエントリにしろ、新聞や雑誌の記事にしろ、公演でのスピーチにしろ、人に自分の考えを理解してもらうには、どんなに厳密に言葉を選んでも、どんなに明快なロジックでも、どんなに素晴らしい声だったとしても、一回や二回では無理である。特に相手の人数が大多数なら尚更。

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自然言語、いと難し

決してプログラミングの「自然言語処理」の話ではなく、実際に我々が日常生活で自然言語を使う上での難しさの話。最近つくづくこれの難しさを実感する次第でありまして、今一番困っているのが自然言語のあまりの扱いの難しさに日に日に喋る速度が遅くなっていることです。いやこれマジで。

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この懐古の情は何なのだろうか

東京新聞 : 草分けジャズ喫茶 横浜の『ちぐさ』閉店へ

日本最古のジャズ喫茶といわれる横浜・野毛の「ちぐさ」が、今月末で七十三年の歴史に幕を閉じる。戦争を乗り越え、戦後は世界的ジャズアーティストの渡辺貞夫さんや秋吉敏子さんらも通った。往年のジャズファンたちは「ここに青春があった」と寂しさを隠せない。

先に断わっておくが、僕はまったくもってジャズファンではないし(それ程詳しくないという意味で、嫌いではない)、この「ちぐさ」にも類似のジャズ喫茶にも足を運んだことなどない。つまり僕にとってはまったく関係のないニュースなのだが、自分の心の中に感じた物悲しさは無視できないレベルのものあった。

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社内ゼネラリストが好きな日本。専門化が好きなアメリカ。

The New York TimesにGoogleの面白い記事を発見。

The New York Times : Google Answer to Filling Jobs Is an Algorithm

Desperate to hire more engineers and sales representatives to staff its rapidly growing search and advertising business, Google ― in typical eccentric fashion ― has created an automated way to search for talent among the more than 100,000 job applications it receives each month. It is starting to ask job applicants to fill out an elaborate online survey that explores their attitudes, behavior, personality and biographical details going back to high school.

コンピテンシーって言葉が人事を生業にしている人達の間で流行ったことがあるというのを聞いたか読んだかしたことがあるが、こういうのを数学的な手法だのを取り入れて大真面目にやってしまうところがGoogleの凄いところなのかもしれない。でも実は当エントリでは実はGoogleについて語りたい訳ではなく、この記事を読んで感じたことがあるのでそれについて書きたいと思う。

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中間という存在に関する一考

Tech Mom from Silicon Valley : 「大人」と「ウェブ世代」のはざまで考える

異なる世界をつなぐ役まわりというのは、例えば「メディア」と「テクノロジー」の間をつなぎ、突破口をつくったスティーブ・ジョブスのように、独自の役割がある。単に間にいるだけではダメで、ジョブスや梅田さんのように、両方からリスペクトされる存在にならないといけない。ということで、これが、今日の自分への戒め。

何かと何かの中間に存在する人や会社には確かに独自の役割がある。しかも両サイドの間に存在する壁が高ければ高いほど「単に間にいるだけ」でも実は役に立ってしまう。ただ中間という役割はゴールが特殊なので、「何かと何かの橋渡し」を自認する人はそれを覚悟しなければならない。

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