404 Blog Not Found :「頭がいい」のデフレ
私にとって「頭がいい」人というのは、「誰も質問していなかった質問をする人」だ。「誰も答えてなかった質問に答える」も悪くないが、前者には劣る。
「質問をする」というのは「問題を出す、提起する」とも言い換えられると思います。「頭がいい」の話から逸れてしまうのですが、最近「エンジニアにとって魅力的な問題」を提起できる人間が日本に足りてないんじゃないのか、という思いがある。
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404 Blog Not Found :「頭がいい」のデフレ
私にとって「頭がいい」人というのは、「誰も質問していなかった質問をする人」だ。「誰も答えてなかった質問に答える」も悪くないが、前者には劣る。
「質問をする」というのは「問題を出す、提起する」とも言い換えられると思います。「頭がいい」の話から逸れてしまうのですが、最近「エンジニアにとって魅力的な問題」を提起できる人間が日本に足りてないんじゃないのか、という思いがある。
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あくまで「経済的に」という話ですが、どうも清く貧しくを良しとする日本人の精神は、日本にとってマイナスなような気がしてならない。
livedoorNews : 福井総裁!金融政策よりもお金の貯め方教えてください
数億円とも言われる福井総裁の莫大な資産だが、一体どうやったらそんなにお金が貯まるのか?不思議でならない。福井総裁がこれまでどのように資産形成をし、そして運用してきたのか、自らのお金に対しての考えを我々一般市民に話して欲しい。そして、我々が少しでも豊かになるヒントを与えて欲しい。そのほうが、つまらない金融政策よりもよっぽどマシだ。
智場web : Web2.0は世界に何をもたらしたか【Webスペシャル版】
わたしは今年45歳になるのですが,自分の来し方を振り返れば,まずはサバイバルするための資産作りをファースト・プライオリティ(最優先事項)に置き,それがある程度セキュアーになってから自分の知的生活を楽しもうという生き方を,かなり戦略的に追求してきました.『知的生活の方法』(渡部昇一)や『知的生活』(P・G・ハマトン)には「資産がなければ知的生活は送れない」というテーゼがありますが,そのためのお金をどこから持ってくるか.これを若い頃からずっと考え続けてきました.
最近少し考えていたことをズバッと言われてしまったな。「知的生活」というものの定義にもよるだろうが、「自身の知的好奇心を満たすという欲望に対して自由に行動する」というものだと考えれば、やはり齷齪と日銭を稼がなければならない身には中々難しいだろう。対談の中で梅田さんも仰っているが、大学教授やどこぞやの研究員になって知的生活と日銭を稼ぐ行為を同化させるという方法もある。だがこれを実現できている人は世界的に見ても若干名だと思う。特に企業に入るのであれば、なんらかの成果は求められる訳だし。
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上の文章は少し大袈裟だとは思いますが、インキュベーション事業(起業支援事業)を行っている当社としても、二十代や三十代の「使い方」は非常に大切であると考えています。
「二十代」でググッたら引っかかった文章。どうやら大前研一氏の即戦力の磨き方 (PHPビジネス新書)に対する書評らしい。以下の文章が印象的だったのでちょっと引用。
「ゼネラリスト」と「スペシャリスト」の差は何かというと、人生計画を「足し算」で考えているか、「逆算」で考えているか、という違いが大きいと思います。
「スペシャリスト」は、人生を逆算して考えています。35歳までに独立すると決め、そのためには今は何をすべきかを常に考えています。そして実行に移しています。
「ゼネラリスト」は、人生を足し算で考えていますので、このまま行けば35歳で年収800万円かな? というような空想しか描けません。行動力もありません。
例えば三十台前半で「何がしかのスペシャリスト」になる為に、まず二十代は様々なことに真剣に取り組んでみる。二十代を「まずはやってみる」時期と規定しよう、というのが一応当ブログのテーマ。物理現象で例えてみると、二十代は「振幅」のすごく大きなグラフだけど、だんだんその振幅が小さくなってきて、三十台半ばくらいから一つの軸に収束していくという感じかな。この「振幅を最初は大きくしておこう」っていうのは結構ポイントだと思っている。引用した逆算理論は非常に正しいと思っているのだが、中にははじめから逆算しすぎていきなり振幅の小さなグラフになろうとする若者がいるのも事実。まずは色々と本気出して取り組んでみた方が、より自分がどこに収束すべきか見えてくるだろう、と僕は考えます。
ちなみに日本では「スペシャリスト」と言っても「社内のある業務のスペシャリスト」に向かってしまう人が多く、それはそれで重宝がられる人間なんだけど、ちょっと若人が描いているイメージとは違いますよね。これも振幅が大きな段階では経験しておいても悪くないだろうけど。
しかし話は逸れるが、大前氏は良くも悪くも変わらない人である。彼の著作を何冊か読めば気付くことだが、世間というか日本のビジネスパーソンに対してひたすら同じ事を言い続けている。氏のメッセージはビジネスパーソンであればすべからく吸収しておくべきだと思うが、内容もあまり変わらないし、僕は何冊か読んだ時点で一度氏の書籍からは距離を置いている。そろそろまた一冊読んでみようかな、と思ったりもするのだが、即戦力の磨き方 (PHPビジネス新書)はそれに適した内容だろうか。
先日dysonの掃除機を買ってみた。噂に聞いたとおり素晴らしい吸引力だし、溜まったゴミを捨てるのも簡単だし、後ろから出てくる空気がクリーンだというのもどうやら本当のようだ。うん、ちょっと高かったけど買ってよかったと思わせる商品である。
さて、世の中のヒット商品には以下の二種類があるように思う(あるいは両方という場合もあるだろうが、それは前者であるとここでは考える)。
dysonの掃除機は明らかに前者に属するものだと思う。特に日本では無名だった訳だし、ブランド名も販売力も無しにあれだけ市場に食い込んだんだから、相当にモノの良さが認められていると言える。
他にもモノの良さで売れている商品はいくつかある。良いモノは徐々に売れる、そして長く売れる傾向にあるから、販売曲線を見れば結構判断できそうだけど、最近ではiPodの良さがついに認められて大ヒットしたのが印象的だったし嬉しかったな。
一方、世の中にはいわゆる宣伝(マーケティングとは言わない)で作られてしまうヒット商品が多数存在する。典型的なのは音楽業界や出版業界、映画業界、ゲーム業界。「売ったから売れた」というモノばかりで、いささか閉口してしまう。モノは良いから売れるべきであり、宣伝とはそのモノの良さを市場に伝える為に存在するべきなんだろうけど、資本主義の宿命上、金のある一部の企業が大したことないものを大げさに宣伝したり、どこかのブレイクスルーをさも自分の成果のように売り出しているのが現状だ。ビジネスマンとしては勿論こういったヒット商品を作り出すことも大切なんだろうけど、エンジニアが「宣伝で持ち上げてくれ」と考え出したら終わりだ。エンジニアが持つべきマーケティング心というのは「この製品のここが革新的なんだ。これによって消費者にこんなメリットがあるんだ。これを伝えてくれれば絶対に売れるんだ」というようなものでなければならない。そして広告屋さんはそれを分かり易く消費者に伝えること。それが一番大事。
Paul Grahamのスピーチ「Great Hackers」の一部分を再び掲載しておきます。訳はshiroさんです。
http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/trans/gh-j.html
けれども、他の条件が全て同じなら、偉大なハッカーを引き付ける会社には巨大なアドバンテージがある。これに同意しない人々もいるだろう。私達が1990年代にベンチャーファームから資金集めをしていた時に、いくつかのファームはこう言ったものだ。ソフトウェア会社は凄いソフトを書くことで勝つんじゃない、ブランドと独占チャネルと、うまい取り引きで勝つんだ、とね。
彼らは本当にそれを信じているようだった。その理由を私はわかると思う。ベンチャーキャピタルの多くが、少なくとも無意識のうちに求めているのは、次のマイクロソフトなのだろう。マイクロソフトがモデルなら、もちろんすごいソフトを書いて勝とうなんて考えている会社を探しちゃだめだ。でも、次のマイクロソフトを探すベンチャーキャピタルは間違っているんだ。あるベンチャーが次のマイクロソフトになるためには、ちょうどいい時期に沈んで、次のIBMになってくれる会社が不可欠だからだ。
マイクロソフトの文化は、その幸運なチャンスをものにしたところから全て始まっているから、それをモデルにするのは間違っている。マイクロソフトはデータ上の特異点なんだ。それを捨ててしまえば、良い製品を作っているところがマーケットで勝っているのを確かに見ることができるだろう。ベンチャーキャピタルが探すべきなのは、次のAppleであり、次のGoogleであるべきなんだ。
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。 Copyright 2004 by Paul Graham 原文: http://www.paulgraham.com/gh.html 日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
「Back to the future」という映画をご存知だと思う。アメリカのごく普通の少年がタイムスリップして大冒険するという三部作で、あまりにも有名だろう。実は一番大好きな映画で、おそらく30回近く観賞しているはずだ。「三部作でどれが一番面白いか」なんてことが議論されることがあるが、個人的にはあまりそういった区別をしようとは思っていない(ちなみに区別するなら1と2&3の二つに区別すべき)。
さてBack to the futureを見たあとにいつも考え込むのが、
の違いである。これは具体的にどういうことかを説明したい。
例えばストーリーを完全に自由に組み立てられる1に対して、2では「未来に行くところから始めなければならない」、「お父さん役の俳優が出演できない」、「主人公の恋人も未来に一緒に行ってなければならない」、「主人公の子供の事件に関する描写がないといけない」などという制約がどっさりと付いてくる。1では映画という芸術作品を創造することが可能だったのに対して、2&3ではこれらの制約の中に数学的な最適解を出すことが求められていたはずだ。この二つの創造行為は、まったくもって違う能力が試される。
これはソフトウェアを製作する現場でも日々目にすることである。例えば新パッケージを製作するときには、自由にモノを創る難しさに突き当たることが多い。「生みの苦しみ」というやつである。これは概ね決断の苦しみであり、特に前例のない、または前例が調べられない状況であると「自分のやろうとしているやり方で正しいのか」、「いつか問題になるのではないか」という不安に苛まされて、前に進めなくなる状態になり苦しむ。だが動きは比較的自由である。
一方既に稼動しているパッケージに修正を加えるときには、「制約の多さから来る苦しみ」を味わうことが多い。例えば不具合を一つ直す場合にしたって「既存ユーザーがバグのまま問題なく使用している可能性」を考え出したりすると、おいそれと修正パッチも出せないのである。バグとはいかなくても「このUIは使い辛いな」と好意で直したのに、既存ユーザから「勝手に変えないで下さいっ!」と文句を言われた経験のある人は結構多いのではなかろうか。システムの裏側の動きを改善しようとしても、インターフェースとなるテーブルが変更の出来ないテーブルだったりして、プログラムも自由に組めないといった状況に陥り易い。これらが「制約の多さから来る苦しみ」の一例である。一方でこの状況は、決断を下すのは楽である。前例に従えば良いわけだし。
「どちらの状況で活躍できるエンジニアの方がエライ」という話をするつもりはない。エンジニアの風林火山分類じゃないけれども、エンジニアが力を発揮し易い状況は様々だからだ。無論多くの状況で結果を出せるエンジニアはエライ。その意味で0からBack to the futureという素晴らしい映画を創り上げ、制約の多いなかで2と3を良い映画に仕立てあげたこの映画の製作陣はエライのである。
バック・トゥ・ザ・フューチャー トリロジー・ボックスセット [DVD]
電車内で化粧に勤しむ女性、PSPと真剣勝負している男性、友達(または彼氏)と電話で大盛り上がりしている女性が迷惑の対象として、そして社会性を失った若者の象徴として語られることはしょっちゅうあるが、視点を変えて彼らの「没頭する能力」について考えてみたい。つまり彼らに見られる特徴的な共通点を「周りの迷惑を顧みない傲慢さ」であると考えるのではなく、「周りの状況いかんを気にせず、自分のやっていることに集中できる」と考えてみる。
彼らが住んでいる世界は非常に狭い。「自分が世界の中心」なのではなく、自分が世界そのものであり、自分以外の「電車に乗ってるおやじやばばあ」は世界にも入っていないのである。彼らにとって「ちら見してくるばばあ」や「うざったそうなおやじ」や「肩が当たったとなりのにーちゃん」なんていうのは、宇宙から地球を見ている宇宙人のようなものであり、「関係ねーじゃん」と切り捨てる対象である。今までの常識から言えばこういったものの考え方は「社会的な能力の欠如」であるが、実は「周りの状況を気にしない」というのは「何かに集中する」ために絶対に必要な能力であり、「ところ構わず何かに集中する」ために「社会的な能力を捨てた」という考え方が出来るのである。
彼らのやっている行為が何か生産的だという訳ではないので評価されることなどないが、例えば彼らがこの集中力をプログラミングに発揮すればgeekと呼ばれる人間になれるかもしれない。デザインや音楽に発揮すれば芸術家として高く評価されるかもしれない。Paul Graham氏の名スピーチ「Great Hackers」にて同氏はハッカーの特徴の一つとして「高い集中力」があるのではないかと語っている(引用文の翻訳はshiroさん*1)。
http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/trans/gh-j.html
友人の幾人かは、ハッカーの集中力に関して言及した。一人の言葉を借りれば、「他の全てのことを頭から追い出せる」能力だ。私も確かにそれには気づいていた。また、何人かのハッカーが、ビールを半杯でも飲んだら全くプログラムできなくなると言っているのも聞いた
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。 Copyright 2004 by Paul Graham 原文: http://www.paulgraham.com/gh.html 日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
この「他の全てのことを頭から追い出せる」能力ってまさに今語っている能力のことではなかろうか。なんと日本の若者に、スーパーハッカーの予備軍がたくさんいることを発見してしまった。こいつは喜ばしいことだ。
ただ彼らをこのまま放っておけば、自動的に様々な分野でハッカーになる、なんてことは当然ない。どうすればそうなるのかを考えるのが教育を考えるということだろうし、そうなるようにするのが教師や親の役割なんだろうと思う。ただ旧世代に彼らを正しく導けるか、と問われれば「無理だろう」と答えざるを得ないのもまた事実。ネット上で進むべき道を発見したり、自己学習の方法を習得したりと、言わば「Google先生」の指導を賜るものもいるだろうが、それ以外の人間はよほどの幸運に恵まれないかぎり、その才能の花を開かせるのは難しいかもしれない。
最後に「では親や教師の役割って何なのさ」という疑問に関しては、Danさんの以下の文を引用して、今後の考える材料としたい。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50468260.html
AudreyをはじめとするAlpha Geeksたちの最大のgiftは、才能ではなく、そんな彼らを陰でささえているふつうの人々なのです。giftedな人たちは五体不満足ならぬ五感不満足な人々なのです。人のたすけがなければ一日として生きて行けない、そんな人たちなのです。
以上。日本と日本の若者に幸多からんことを。
*1:本題とは関係ないのですが、以前mixiにてshiroさんの訳にわけのわからないケチを付けたことがありました。この場を借りてお詫びします。
このブログのタイトルにもあるように、「二十代は模索のとき」と決めてあらゆることに手を出してみている。これは仕事でもプライベートでも同様のモットーとしているのだが、三十路から「ある専門」を持った人間になるためにも、そろそろ「模索をする範囲」を限っていかなきゃならんなぁ、ということにこの間気付いた。三十路から絞り始めるんじゃ遅いだろうと。
そんな訳で、現在興味のある分野を整理してみた。
挙げた中には、現在まったくもって知識のない物も含まれている(組み込みソフトウェアとか)。今後は全体的にウォッチはしつつも、徐々にどこかに照準を絞っていくことになるだろう。興味がこれからあまり増えないとよいのだが。
しかしはてブ見ると、自分が何に興味あるのか客観的に分かって面白いです。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/04/post_6.html
全職種で平均給与は上がっているが、ひとつを除いて全て雇用は減っている。上から2つ目はコンピュータ・通信のハードウェア製造業だが、平均給与は19%伸びているのに雇用は25%減少、上から4つ目のソフトウェアも、平均給与が19%伸びているのに、雇用は11%減ってるわけです。
個人として考えれば怖い話ですが、業界全体として考えれば素晴らしい話。
ということで、一生学び続けるつもりがない人は、業界構造が変わるたびに振り落とされていくわけ。
日本でこういう言葉をなかなか耳にしないのはなぜだろう。単純なことなのに。大学受験の弊害か、社会人になると(いや、大学からか)勉強しなくなる輩が多いように思う。「頑張って仕事してんだからよ〜」とオフの時間に勉強なんて夢にも思わない奴が多い。が、「社会人が勉強しなくて、一体誰が勉強するんだ」と強く言いたい。勉強をすぐに効果に繋げれられる訳だし。
シリコンバレーの給与水準には素直に驚き。でもプログラマーって本来こういう仕事、つまり一部の優秀な人間が時限的に高級で雇われる、なんですけどね。デザイナーやサウンドクリエイターと同じ構図が成り立ってしかるべし。
さあ、自分も頑張ろう。
昨日のエントリを読み直して思ったのだが、政府が打つ手打つ手にいちいち説明を付けていくのはほぼ不可能、というか説明することが仕事になってしまって、他に仕事が出来ない状況に陥っていくだろう。だけど国民の納得を得ないといけない。
この問題を解決するには「政府のブランド力アップ」しかないと思った。国民に「まあ政府さんがやっていることだし、信じて付いていけば大丈夫だろう」と無条件に思わせる力、すなわちブランド力である。「ヴィトンの鞄だったらとりあえずOKだろう」と思わせるのと、本質的には一緒である。
しかしこの手もほぼ不可能である。ブランドとは長い年月をもって積み重ねた信用であるとも言えるし、トップがぽんぽん変わる政府にこの策が取れるわけがない。
では国民に納得を行き渡らせるのは不可能なのか。ここでもう一つの可能性として考えられるのが「ネット」である。現在ネットの力によって、情報を国民一人一人に行き渡らせるコストはほぼ0に近い状態にある訳だ。政府はここに着目すべきである。なんかエイプリルフールのネタみたいだけど、id:umedamochioさんを「国策説明担当大臣(通称ネット大臣)」なんかに任命してみたらいかがだろう。
追記:
また意図せぬトラックバックをしてしまったようだ。失敬。