ブログを書く理由を言語化しておきたい

前回の投稿をもう少し深堀して、「そもそも私はなんでブログなんて書くのだろうか」ということについて考えてみたいと思います。

「言語化は大事だよね」と言語化しておきたい | Never Too Late (rintaromasuda.me)

ブログを書くことにはそれなりの手間がかかります。近年は音声によるテキスト入力機能の進化だったり、ChatGPTをはじめとする生成AIの登場でブログの記述コストもかなり下がったと思いますが、それでもそれなりのコストをかけています。そのコストをかけるほどの明確な理由があるのか、それこそ自分の中で整理しておきたいところです。

まずは前回の記事でも書いたように、思考の整理や言語化です。ブログを書けば強制的に自分の思考をアウトプットせざるを得ません。そして同時にそのアウトプットを自分の中に戻す、つまりインプットをせざるを得ません。そのプロセスの繰り返しそのものが言語化であり、私にとってブログの記述が言語化の有効なひとつの手段となっています。

次の理由は情報収集です。 よく言われるように、情報を集める最善の方法は情報を発信することです。私も少なからず、情報の発信者になることによって情報を得てきました。これは読者からのコメントやフィードバックということもありましたし、リコメンドエンジンなり自分で探したりなりで、自分に役に立つ別の情報源に出会えたということがたくさんありました。

三つ目の理由は人との出会いです。第二の理由とも深く関係しますが、ブログを通して同じような思考の持ち主、同じような領域で働く人、同じような志の持ち主、そういった人たちに出会うことができ、それはインターネットの外、つまり現実の世界ではなかなかありえなかった出会いであったりします。そのように人同士のクラスタリングを行う力が、ブログおよびインターネットにはあります。

そして最後に、それは何よりも私は書くことが結局好きだという理由が挙げられます。小学生の頃、読書感想文と言えば不人気な宿題という存在でしたが、私は実はあれが大好きでした。頼まれてもいないのに、勝手に読書感想文を書いて先生に提出したことさえあった気がします。当時の私が読書感想文の記述のどこに喜びを見出していたのか、楽しみを見出していたのかは分からないのですが、読書感想文を書いていたモチベーションと、ブログのそれとの間には多くの共通点があると感じています。