梅田望夫「シリコンバレー精神」

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

そもそも当ブログの「模索」というテーマは、この本のハードカバー版である「シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記」から着想を得たものだった。

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ハードカバー版を何度も何度も読んだので特に今回購入する必要はなかったのだが、座右に文庫版も置いておきたかったことと、
My Life Between Silicon Valley and Japan : 「シリコンバレー精神」(ちくま文庫、8月10日発売)

本文には加筆修正を加えず、「文庫のための長いあとがき――シリコンバレー精神で生きる」を書き下ろして、増補することにしました。当時の判断における誤りや失敗も「長いあとがき」の中で総括しました。

ということなので購入を決定した。「ウェブ進化論」のときと同じく在庫不足が起こっているみたいだけど、Amazonで予約しておいたからスムーズに購入することが出来た。

「文庫のための長いあとがき」は、何度も本書を読んでいる僕のような人間でも「ほうほう、なるほど」とスムーズに本書の流れが頭に入ってくるような良い作りになっている。本書を初めて読む人でも、このあとがきから読むのはありだと思う。このあとがきをインデックスに、各手紙を読んでいくのもひとつ興味深い読み方になるはずだ。

個人的にグッと来たのはあとがきの「「シリコンバレー精神で」モノを書く」という箇所。確かに曖昧な両論併記では人は成長しない。それは「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」の精神にも似たようなものだ。何かを断定しそれが外れたとき、見当違いだったとき、場違いだったときの「恥」への恐怖心というものは誰もが持ち合わせているものである。だがそれを恐れるがあまり、両論併記の安全策をとってしまっていては、「恥」や「後悔」を感じた後の「成長」を掴み損ねてしまうことになる。

でもあえて判断と断定にこだわったのは、考えたことを行動に結びつけるには、どうしてもそれが必要だったからだ。そしてもう一つ、断定的表現でモノを書き、それが多くの人の目に触れるということは、自らに強い緊張感を課すことになる。

と本書ではかかれている。これからブログを書いていく中で、一つの重要な考え方になるであろう。

さて以前僕は以下のように書いている。
二十代は模索のときブログ : 梅田望夫「ウェブ進化論」

そして同時に同著は「自分も含めてこれから日本を担うべき若者が読むべき本」と強く認識した。

同著というのは「ウェブ進化論」ではなく、「シリコンバレーは私をどう変えたか」つまり今回文庫化された「シリコンバレー精神」のことである。これが僕のこの書籍への強い想いである。
日本の大学生または高校生の中で、シリコンバレーのこと、そこで何が起こっているのか、そこでどんな人達が働いているのか、どういった精神で彼ら彼女らは行動しているのかを知っている人がどれほどいるだろう。「コンピュータオタク」と周りから揶揄されてしまいそうな人達が夢を見れる場所、自分と同じような人が世界を創り出している場所があるとどれくらい若者が知っているだろう。技術を信奉した行動様式の中から、自分達が今受けている恩恵がそこでどれほど生み出されたのか、そして今現在、未来を創造している人間がそこにどれほどいるのか、そういったことを知る機会など、日本の若者にどれだけあるというのか。
学生時代の中で出来る色々な経験の中には、所謂社会人になってしまってからでは出来ぬ種類の経験がいくつかある。「シリコンバレーのことを知っていればもっとこうしたのに」とか「あれをすべきだったのに」とかそういった想いを日本の若者が抱かぬよう、この文庫化を機に本書が大学生以下の若い世代に読まれ、彼ら彼女らの知的好奇心を刺激し、自分の新しい可能性に気付くことを強く願う。それがまた日本という国の経済的利益にも繋がると信じる。