誰の中にもオープンソース魂はある

My Life Between Silicon Valley and Japn : 昨夜の対談イベントの音声、YouTube映像

昨夜行なった「シリコンバレー精神」刊行記念対談イベントの音声を取り急ぎ、アップします。吉岡弘隆さん(ミラクル・リナックス)をお招きしての、シリコンバレー精神とオープンソース思想を巡ってのトーク約一時間(ちなみに、ときどき会場から突っ込んでいる人はDan Kogaiさんです)。

この対談、参加を希望していたんだけど残念なことに外れてしまいました。

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実は僕のブログはもともと梅田さんが参加されたパネルディスカッションの感想を書くことから始まっていて、次に似たようなイベントに参加できるチャンスがあれば是非、と思っていたのですごく残念。まあでも便利な世の中になったもので、ポッドキャストのみならずYouTubeで動画まで見れますよ、ということになっている。ただコンサートでも何でもそうだけど、その場にいる人しか味わえない雰囲気というものがある。次のチャンスこそ参加したい。

対談の内容は是非聞いて頂いて欲しいので(約一時間なので、通勤時に聞くのに丁度いい)、ここに要約のようなものは書かないが、どちらかというとシリコンバレーの話というよりはオープンソースの話が多かった気がする。

さて吉岡さんが「善意の総和と悪意の総和だったら善意の総和の方が多いのではないか」というような話をされていた。まあどっちが多いかはとりあえず置いておくとして、大抵の人の心には「誰かに良い思いをしてもらい」とか「誰かに協力したい」とかそういう心ってありますよね。それが実はお節介だったり自己満足だったり、自分の虚栄心を満たす手段であったりとか色々バックグラウンドがあるこは承知ですけれど、それでも人は誰かに何かしてあげたくなったりすることがある。文化祭前夜に予定に追いつかない友人を徹夜で手助けすることもあるだろう。誰かの恋の成就の為に何かをしてあげることもあるだろう。
結局オープンソース魂ってのはそういう善意、あるいはお節介なのか、自己満足なのか分からないけれど、直接に見返りを求めない献身が具現化したものであって、梅田さんが冒頭でおっしゃっていたような「正体不明なもの」ではなく、普段から身近にある概念なんじゃないかと思う。誰の心にもあるものなんじゃないかと思う。インターネットが普及したことにより献身の為のコストがガクンと下がったことと、たまたまプログラムのソースコードっていうのが献身が発揮される場に適していただけであって、どんなことでもオープンソースになり得ると思うし、誰でも参加し得る行動だと思う。
ネットで恋愛相談とか、同じ病気を持つ人とか情報交換したり励ましあったりとかしているの訳ですけど、あれって形は違えどオープンソースと同じだと思うんですよね。近所の独身男性を見つけてはお見合いを勧めるおばちゃんもオープンソース的行動をしているのかもしれない。だからそんなUMAみたいな扱いしなくてもいいんじゃないかな、と。

あ、でも近藤さんは本当にUMAっぽいですね。対談の中で、アメリカ行きの意外な真実が明らかになりました(笑)。