特にはてブを付けられることを意識してブログを書いている訳ではないが、なんとなく被はてブ数が100に近づくにつれ意識をしていた。
『二十代は模索のときブログ』 の新着エントリー – はてなブックマーク
だからどうという訳でもないが、何となく嬉しかったので記録しておく。
特にはてブを付けられることを意識してブログを書いている訳ではないが、なんとなく被はてブ数が100に近づくにつれ意識をしていた。
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だからどうという訳でもないが、何となく嬉しかったので記録しておく。
最近どうも携帯小説の話題を目にする。id:umedamochioさんが以下の様に書かれていたり、
「中央公論」の「時評」欄を担当しはじめて半年が過ぎた。今回が七回目。
次号テーマは「ケータイ小説」ブームで書いてほしいとのリクエスト。
でも在米ゆえ「ケータイ小説」のサイトなんて一度ものぞいたこともないし、書籍化された「ケータイ小説」のベストセラーも読んだことがない。
Tim O’reillyが以下の様に書いていたりと(The Economistに携帯小説関連の記事があったらしい)。
The article makes a point that we’ve previously remarked on regarding YouTube, the fact that the medium changes the preferred format. Existing novels didn’t work. A new type of novel was developed that suited the medium and the audience. However, bestsellers from the keitai have begun to bleed back into traditional media, with one author landing a traditional book and movie deal.
http://radar.oreilly.com/archives/2007/05/mobile_phone_no.html
僕は本の変わりになる電子機器にはそれなりに注目しているのだけれど、どうも携帯小説には否定的な立場だ。おそらく現段階では、コンテンツが携帯電話の中心ユーザである十代の若者、それも女性をターゲットにしたものがほとんどではないかと思う。実は一度も携帯小説は読んだことがないので、梅田さんの言うとおり論じる立場にはないのであるが、今まで得た情報からはその様なイメージを持っている。
ま、今後要注目の一分野ということで。
なんか世間はPerlとPHPみたいだけど(それもちょっと前か)、ちょっとJavaについて言及したくなったので。
Java言語を発明したジェームズ・ゴスリング氏は、サン・マイクロシステムズの副社長でフェローでもある。同氏は2007 JavaOneでeWEEKのシニアエディター、ダリル・K・タフトの取材に応え、Javaオープンソース化、Javaプラットフォームの新たな方向性とプログラミング全般、新しいサンの技術とマイクロソフトとの競争について語った。
Google 翻訳は、自分の言語で他言語のコンテンツを利用するお手伝いをします。例えば、日本語で英語の情報を探したり、英語でフランス語の情報を探すことができます。
Googleの翻訳へのアプローチが統計的な手法に基づいているという記事を以前どこかで読んだ。そのときからいつか考えなければならないと思っていたのだが、今後自動翻訳の技術が進む中で、英文読解の能力というものの位置づけはどう変わっていくのだろうか。特に僕は「英会話もいいけど、英文読解の方が重要かもよ」といったポジションで英語について色々言ってきたところもあるので。
いずれGoogle Book Searchと自動翻訳の技術が組み合わされば、世界中の本も「ある程度の翻訳精度」で自言語で読める様になるかもしれない。それにあと本の変わりになるデバイスの物凄いものが出れば、読書ライフも大きく変わるかもしれないな。これは有機ELとかそういう技術の行き着く先だろう。
今はまだ英文読解の能力は間違いなく必要だろうからまだ深く考えないけれど、教育関係者とかはそろそろ真剣に考え始める必要があるだろう。
実は先日翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)という新書を購入して読み出したのだが、どうもこの本がこの村上春樹訳のキャッチャー・イン・ザ・ライを読んでいることを前提にしている本だったので(当たり前と言えば当たり前だが)、そちらを一旦中断し、本書を読んでみた。おそらく本書は多くの人は思春期というか、少なくとも社会人になる前に読む類の本ではないかと推測したがどうなのだろうか。僕はもういい大人になってから本書と出会ったので、多少他の人と感じ方が違うかもしれない。
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別にどうという理由は無いけど書いておきたくなった話。
我慢には+の我慢と-の我慢の二種類がある。今自分の快楽レベルが通常状態にあるとして、何らかの快楽を得たくなったとする。これを我慢するのが+の我慢。「もっと高価な物が欲しいけど、我慢しなきゃ」みたいな我慢は+の我慢だ。
一方、今自分の快楽のレベルが通常より下にあったとする。この状態を我慢しなければならないのは-の我慢だ。例えば「夫のいびきがうるさ過ぎて毎晩眠れないけど、我慢してます」みたいな我慢は-の我慢だ。
非喫煙者の我慢と喫煙者の我慢を比較して議論しているのを見かけることがある。「喫煙者が我慢するか、非喫煙者が我慢するか」という様な話題が典型的だが、この+の我慢と-の我慢の違いを考慮して議論した方がいいのではないか、と個人的には思う。
ちなみに結婚生活では、+の我慢は考慮すべきであるが、-の我慢はしなくて済む様にお互い話し合う必要があるのではないだろうか。
飛行機の中で一時間ほど書けて読んだ。通常新書には一時間もかけないのだが、結果的にこの本を読むのには一時間ほどかかった。途中途中で奥さんに読書を遮られたという理由もあるが。
さて細部に関する感想を書こうかと思っていたけれど、バケーションに出発する飛行機の中で読んだものだから、今細部が頭に入っていない。「何処が面白かった?」といきなり問われたら、多分「最後の中学生への講義の部分」とかしか言えない状態である。いや、本当にそこが面白かったのだけれど。
という訳で細部を覚えていないので、ちょっと楽観とか悲観とかそういうことについて書いてみたいと思う。というのも、非常に楽観(オプティミズムとペシミズムではなく、楽観、悲観という言葉を使う)に包まれていた書籍だと感じたからだ。そしてその楽観に関する非難が少なからずあるようなので、それについての僕の意見を書いてみたいと思う。あまり長くは書かないけれど。
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バケーションから昨日返って来た。青い海と青い空、暖かい気候があれば何をしてても本当に楽しい。戻ってくると、やっぱり日本は日光の少ない地域であるということを実感する。特に今は梅雨(もう入っているのかな)だし。
さて、バケーションから復帰するときには独特の恐怖感がある。これはあくまで個人的には、ということだが。
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先日勤め先でマネジメント研修なるものを受講する機会があった。講師はあるベストセラーの著者であり、今はその本に書いてある内容をコンサルタントすることを生業にしているようだが、以前はアメリカで起業し、その企業を売却するところまで持っていったことがあるそうな。
予想通りと言えば予想通りだし、当たり前と言えば当たり前のことだが、あの手の汎用的なマネジメントのメソッドなどというものは、あまりにも抽象化されすぎていて何の役にも立たないのではないかという感想を持った。「何も役に立たない」という意見が少し強すぎるのなら、「役に立つけれど、わざわざ言われるまでのことではない」という意見にしておく。
これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8b5c071403ce1ab76cdd6e63860ea95b
僭越ながらこのPaul Rubin氏の指摘は、以前に僕が書いたエントリと同内容だろうと思われる(勿論レベルは圧倒的に違うだろうが)。
論理的に考えれば正しくても、感情的に(あるいは本能的に)受け入れがたいこと、ってのが世の中にはあると思う。例えば定率減税廃止、これに着目してみる。定率減税は廃止されるのに、高額所得者(3000万円以上だそう)に対する減税措置と、法人税に対する減税措置が廃止されないことに非難の声が挙がっている。「貧乏人からばっかり金とってどうすんだっ!金持ちから搾り取りやがれっ!」とついつい感情的になってしまいがちな話題だ。僕も例外ではない。
みのもんた、つまりマスコミが我々の「古い脳」を代表する存在であるとして、我々の「新しい脳」を代表する存在には誰がなれば良いのだろう。よく分からないが、ひとつ肌で感じて分かるのが、日本という国は段々「古い脳」が支配する国に近づいてきているのではないかということ。これはテクノロジーの進化による変化だと思うし、この現状を変えるのもまた新しいテクノロジーではないかと思う。少なくともインターネットは、テレビよりは「新しい脳」側のテクノロジーではないだろうか。これは希望的憶測かも。