月別アーカイブ: 2007年11月

魚住昭「野中広務 差別と権力」

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

再び魚住昭氏の著書に手を出した。この間村上春樹氏の作品を一気に読んだときもそうであったが、どうも僕は気になる著者が現れると、その人の書いた本を飽きるまで読みたくなる傾向の持ち主らしい。とりあえず本作品を読んだ時点では魚住氏には飽きていないと思うので、次も彼の著作に手を出すかもしれない。もちろん予算と時間の範囲の中で、であるが。
本書は政敵を叩きつぶす策謀家として永田町で恐れられた政治家、野中広務氏の生い立ちからその政治生命が閉じられるまでを追ったルポタージュである。野中氏はその出自によって多くの困難を乗り越えてきたようであるが、こう言ってしまっては何だが、彼の人生を傍観する立場、つまり本書の読者にとっては非常に興味深い部分であるというか、政治家野中広務の核のようなものがいかにして形成されていったのか、それを考える上での大きな材料になっている。
また本書で非常に面白い部分であると僕が感じたのが、魚住氏は単なる傍観者としてではなく、野中氏を取材していく上で彼と野中氏の間に生まれたある種の空気というか、確執というか、そう言ったことまでを本書に余すことなく記していることである。つまり、魚住氏も野中広務という政治家の人生の物語を紡いでいるだけではなく、そこに自らも出現することにより、本書をいっそう刺激的な内容にすることに成功している。僕はそう感じた。
最後には佐藤優氏との対談が掲載されている。最初は「なぜ佐藤氏が?有名だからか?」と疑問に思っていたが、どうも野中氏と鈴木宗男氏は切っても切れない関係にいたというか、野中総理、鈴木官房長官というシナリオが一部では動い佐藤氏は相変わらず様々なことに詳しいようだった。

インストールしたソフト一覧

rintaromasuda2007-11-21

最近ありがちですけれど、僕もMacにインストールしたソフト一覧をこちらに纏めていきます。このエントリは随時更新する予定です。

森田実「自民党の終焉」

自民党の終焉―民主党が政権をとる日 (角川SSC新書)

自民党の終焉―民主党が政権をとる日 (角川SSC新書)

こ、これはひどい。今まで読書をしてきてあまり「ひどい本だ」とかそういう感想を持ったことがなかった記憶があるけれど、本書はどうにも僕には理解しがたい類の本である。
本書は政治評論家の森田実氏による自民党支配政治の終焉を予測した内容であるが、いかんせん完全に著者がバランス感覚を失っているので、「いかに小泉政治(特に経済)が駄目だったか」、「いかに小沢民主が素晴らしい可能性を秘めているのか」という内容をとうとうと、しかもあまり客観的とは言えない事実を根拠としてひたすらと繰り返している、という内容である。民主党を個人的に応援されるのは全然構わないのだが、自民党が参院選で大敗し、安倍総理が混乱のさなか辞任したことに乗じて、長年の溜飲を下げるかのような記述が目立つのはなんとも読んでいてかなわない。おそらく僕が森田氏とまったく同じ思想を持っていたとしても、このような著しくある一方の立場に有利なことばかりの記述で満足することはないと思う。
ある一部分だけを抜き出して、「ほら、こいつは変なこと言っているだろ」と言うかのようなやり方は嫌いであるが、以下の部分はどうしても気になったので抜粋したい。
pp.167

「従軍慰安婦は歴史的事実に反する」と言う者がいたら、その人は戦争のことをほとんど知らない人である。そうでなければ異常な人である。戦時中を知る者なら従軍慰安婦について軍の関与はなかったなどという無神経な話はとうていできないであろう。具体的な政府文書があるかないかは、どうでもよい問題である。

うーん。森田氏は本書でも述べているとおり玉音放送時点で中学一年生であったようなので、私の個人的な意見では戦前の人間と言うようりは戦後の人間だと思うが、どうにも戦争経験者と非経験者を区別したいのだろうか、このようなことを書いている。あと「関与があった、なかった」というのはちょっと論点とずれているんじゃないかと思うが、軍の施設だったんだから何かしらの関与はあって当たり前というか、論点は強制性にあったはずだと思う。「具体的な…」の部分はもうあまり突っ込まないとして、とにかく森田氏は小泉政権や安倍政権が行ってきた色々な事に、とにかく文句をつけて小沢民主の素晴らしさを訴えかけているのだけれど、バランスを欠いているばかりに上記の様な文章を書くまでに至ってしまった、というのが僕のおおまかな感想である。この本の内容だけで著者のバランス感覚を決め付けたくないので、公平な立場から日本の政治を分析したような著書でもあれば再度読んでみたい気はする。

渡辺明「頭脳勝負」

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

とりあえず「将棋をちょっと観戦してみたいな」と思ったので、渡辺竜王の試みはある程度僕には効いたということだと思う。
本書は竜王の位でおなじみの、渡辺明氏による将棋解説本、及び将棋観戦方法解説本そして、棋士解説本です。この紹介で分かるとおり、新書ながら結構色々な情報が詰め込まれていて、将棋を様々な角度から、言ってみれば「将棋という世界」を紹介している様な本である。どちらかというと、「将棋ってルールはまあ知ってるけど(ちなみにルールも本書で解説されています)、なんか観戦したり指したりする気はなくてねぇ」という僕みたいな人間に向けて書かれている本である。
竜王は意図的に「居飛車」、「振り飛車」、「穴熊」など専門用語を多く使い、そしてそれらの意味合いを解説することにより、我々に「まず形から将棋に入ってみなよ」というメッセージを送っているものと思われる。僕はスポーツ観戦にはほとんど興味はないのだが、友人達が野球やサッカーの談義をしているのを聞いていると、確かにプロ並みに戦術とか戦法に詳しかったりする。彼らはそれを実践できる訳ではないのだが、そういう知識を元にスポーツ観戦を何倍も楽しいものにしている。そういう人々を将棋の世界にも増やしたい、それが竜王がこの本に込めた願いだろう。
ただひとつだけ思ったのが、トップクラスが何千万単位の賞金をもらえる将棋は、少なくとも既にある程度のファンがいるものと思われる。比べてどうこうという訳ではないのだが、例えばこれがバスケットボールだったりすると、今でこそプロが少しずつ注目されてきたりしているが、それでも国内トップクラスのバスケットボールプレイヤーでも、年収は一千万に届くか届かないかというのが現状だろう(スポンサー等がつけばもっともらえるだろうけど)。それを思うと、少し渡辺竜王の試みは欲張りな気がしないでもなかった。あくまでも、単純に比べられる話ではないのだが。

シリコンバレーツアー2008

JTPAで今年も開催とのこと。過去に一度だけ知り合いが参加しているので、告知くらいには協力したい。僕も学生だったら参加したいところだけど、今の僕の立場ではちょっと参加したら浮いてしまうな。

技術志向で海外志向の学生さん、いらっしゃったらご一読してみては。

魚住昭「特捜検察の闇」

特捜検察の闇 (文春文庫)

特捜検察の闇 (文春文庫)

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070912/1189549821で紹介した「官僚とメディア」と同じ魚住氏による本書は、この日本で起こっている司法の腐敗を抉り出したもの。相当に読み応えがありました。
著者は本書で語っているように、以前は特捜検察のファンだったという。特捜検察 (岩波新書)という前著は特捜検察の活躍を描いたものであるようだ。しかしその著者が今度は検察、そして司法全体に蔓延る腐敗の構造に光を当てることになった。日本の司法にどんな変化があったのか、そしてこれからどう変わっていくのだろうか。そういったこと深く考えさせられる内容である。
本書は基本的には二人の弁護士、一人はヤメ検(検察を辞めて弁護士に転じた人)の田中森一氏。田中氏は検察時代はピカピカの正義の検事という感じだったというようだが、自己の中に生まれた矛盾を解消できず、弁護士に転じ、その後裏社会の有能弁護士として数々の裏社会の大物との関係を持つに至った。非常に興味深いエピソードである。
もう一人は人権派の弁護士として有名な安田好弘氏である。彼はバブル後の「不良債権回収」という国家の大きな動きの中で生まれた生贄のひとりとなり、検挙され、特捜検察との対決に至っていく。魚住氏が描く安田氏側弁護団と検察の闘いは息を呑むものがあった。
とまあ素人ながら宣伝してみた感じになりましたが、要は非常に面白いのでお薦めです。また今後は陪審員制度などで法律(というか法廷)と関わる機会が我々民間時にも増えてくる訳なので、それに備えた準備としても良いかもしれません。

Twitter使い始めてみた

すげー遅めのスタートになったけど、Twitterを使い始めてみた。本当はアカウントだけは作ってあったんだけど、なんとなく使う気が起きない内に時が過ぎていたが、どうも人気が定着してきたような印象を受けたのでやってみようかと。

http://twitter.com/rintaromasuda

とりあえず今は、有名人を見つけてはfollowしている。どなたでもfollow大歓迎なので、こんな僕でよかったらよろしくお願いします。

ちなみに日本語でどう発音するべきか迷ったんだけど、ネットで見たところ「ついったー」で定着しているようなだが。「とぅうぃったー」ではないんですよね。

自分の置かれている状況を正当化したがるバイアス

江島さんが名エントリをまたひとつ産み出した。二回も読んでしまったぜ。

反対に、学生の頃にネットスケープやサンやアップルの存在でキラキラ輝くイメージをもっていたシリコンバレーへの憧憬みたいなものはどんどん薄れていってて、日本だって十分にデカい市場だし、内需でニッチを見つけてそこでドミナントなポジションを狙っていくというのもかなりハッピーな人生じゃね?というような考え方になってきていた。

特にバブル崩壊後はアメリカもズタズタだったということもあるし、オラクルとかSAPみたいな外資系の大企業向けパッケージも当時からアクビが出るほど退屈なものだったのに、業界地図を塗り替えるようなものが登場する気配はこれっぽっちもなかったので、世の中を動かすには技術によるイノベーションじゃなくてビジネスプロセスの変革のほうが効果あるもんなのかもね、と半ば本気で思うようになっていた。

希望は突然やってくる:Kenn’s Clairvoyance – CNET Japan

とりあえずこのエントリから学べることのひとつとして、まったく本題ではないのだけれど、「人は自分の置かれている立場を正当化するような思考をしてしまう」ということ。物事を考えるときは、そのバイアスをなるべく排除したかたちで考えたいものだ。

白州次郎「プリンシプルのない日本」

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

日本国憲法成立に関与したことや、その痛快な人柄で著名な白州次郎氏が文藝春秋に散発的に書いていたと思われる文章をおそらくひとまとめにして書籍という形に纏めたもの。
なるほど言っていることは痛快だし、非常に納得も出来るし好感も持てる。経済の問題に対しても、素人ながら(とご自身で仰っている)本質を突くような発言も多く、戦前と戦後の違いをきちんと認識して、守るべきでない産業はもう守るなといったような強気な発言には惹きつけられるものがある。しかし反面、この人はもし上に立ったとしてもそのような改革(のようなもの)を断行することは出来ないだろうな、と感じた。あまりにも優しすぎる気がするからである。改革の裏側で涙を流す旧来型産業の中でしか生きていけない不器用な民衆を、とてもじゃないが「改革の犠牲となってくれ」とばかりに見捨てることの出来ない人柄であろう。犠牲のまったくない形で物事が進化していけばそれ程嬉しいことはないのだろうが、中々そうできないからこそ、政府や財界や我々一般人も旧来型の物事にしがみついてしまうのだろう。
白洲氏は非常に先見性があったというか、太平洋戦争の勃発やその敗戦について最初から読んでいたというのもあるが、戦後に日本国民そのものに対しても「反省せよ」と促しているところはさすがと思う。軍部や政府に敗戦の責任を押し付けて自分が楽になることを考えず、これからの日本人のために、まずは自分達が反省する。そんな風に考えられる人っていうのは、当時はどれほどいたのであろうか。無論、兵隊に出された人々や戦火から命からがら逃れた人と白洲氏では、見てきたものがかなり違う可能性もあるが。