月別アーカイブ: 2008年7月

G.パスカル ザカリー「闘うプログラマー」

闘うプログラマー 上巻

闘うプログラマー 上巻

闘うプログラマー 下巻

闘うプログラマー 下巻

文句無しにスリリングだった。たまたま寄ったBOOK OFFで下巻だけ売っていたのを見かけて購入したのだが、あまりにも面白かったのですぐにAmazonで上巻も注文。とにかく一気に読めてしまった。
こういったドキュメンタリーものは、まあかなりの程度に大袈裟に書かれているだろうとは思いつつも、ソフトウェアの新製品の開発、いや新製品の開発現場というのはまさに「闘い」の場であることは、多少なりとも知っているつもりではあるので、この本に書かれている内容、つまりWindows NTの開発現場での「闘い」というのはある程度リアルに消化できた。
本書の中でもそうであるが、大抵こういった開発現場での闘いというのは、ライバル企業の闘いがどうのというようりも、企業内の部門同士の闘いであったり、個人同士の闘いであったり、もしくは自分の中での闘いであったりする。営業部門と開発部門とか、開発者とテスト担当者とか、開発監督者と開発者とかそういった組み合わせで日々闘いは起こる。正のエネルギー同士のぶつかり合いだけであれば良いのだろうけれど、現実には負のエネルギー同士のぶつかり合いなんてのもしょっちゅう目にする。開発手法の教科書だとか、新製品開発プロセスの方法論だとかそういうものって世の中には結構あるんだろうけれど、まあ実際に現場に出てみると、体系的に学べるような知識を大きく超えた部分で、何か得体の知れない大きな渦の様なものを相手にしなければならない。だからといって知識や経験が無いものが相手にされるような舞台でもない。そんな中でWindows NTという当時の新製品を「出荷」するところまでこぎ着けた彼らは、今更ながら賞賛の拍手を送りたい。

ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)

柴田元幸さんが積極的に翻訳されているポール・オースター氏の本を読んでみたいと購入。実は中身もよく見ずに適当に買ってしまったので、この本がエッセイ集であることに読み始めるまで気が付かなかった。ただし訳者あとがきにもあるように、このエッセイ集はタイトルの通り著者の身の回りに起こった「本当にあった話」をまとめたようなつくりになっており、そのほとんどすべてが「事実は小説よりも奇なり」という言葉がまさにぴったりと当てはまる様な話を中心に展開されている。
ただ僕が思うに、著者の身の回りで起きたことが、我々の身の回りのそれよりも非常に偶然性に富んだものであることは認めるが、それにもまして重要なのは、著者が彼の周りで起きる様々な出来事に非常に強い関心をもっており、またそれを強く愛していることではないかと思う。極端な話、昔起きた事を片っ端から忘れてしまうようであれば、奇妙な偶然を感じる機会は非常に少なくなってしまう。自分の周囲の人々に注意を払わなかったり、彼ら彼女らの話を聞かなかったりすれば、それも「あなたを心底驚かすような偶然のいたずら」を逃す行為となってしまうだろう。だからもし著者のように色々な「本当にあった話」を手にしたいとするならば、自分とその周りのすべての事に関心を持ち、興味を抱き、そしてそれらの事を頭の中に留めておくよう心掛けるべきだろう。
ちなみにこの本は日本独自編集らしい。

アーネスト・ヘミングウェイ「われらの時代」

また酷い誤訳があるのですが、翻訳教室の6番目の課題を翻訳しましたので掲載します。今回はヘミングウェイの「in our time」です。

第5章彼らは午前六時半、病院の壁にて六人の大臣を銃殺した。病院の中庭にはいくつかの貯水池があった。舗装路には、枯れ果て、濡れた葉があった。激しい雨だった。病院の全ての戸は、釘で打ち付けられ閉ざされていた。大臣のひとりは腸チフスを患っていた。二人の兵士が彼を階下まで運んでいき、雨の中に放り出した。兵士達は壁を背に彼を立たせようとしたが、彼は水たまりの中に座ったままだった。他の五人は壁を背に、極めて静かに立ちすくんでいた。とうとう指揮官が、その大臣を無理に立たせなくてもいいと兵士達に言い渡した。兵士達が一度目の一斉射撃をしたとき、彼は頭を膝の間に突っ込みながら、水たまりの中に座っていた。

第7章
砲撃がフォッサルタの部隊の塹壕に打ち込まれている間、彼は真っ平らに横たわり汗ばみながら、神よここから私を連れ出して下さいと祈っていた。おお神よどうか私を連れ出して下さい。神よ、お願いしますお願いしますお願いします神よ。もしあなたが私を死から護ってくれるのなら、私はあなたの言葉のすべてに従います。私はあなたを信じますし、私は世界中の人すべてに唯一重要なのはあなたであると伝えます。お願いしますお願いします親愛なる神よ。砲撃はより前線へと移動していった。我々は砲撃された塹壕に取り掛かりに行った、そして朝には太陽が上がり、その日は暑くじめじめとしていて陽気で静かだった。戻ったメストレでの次の晩、ビラ・ロッサで一緒に上の階に行った娘に、彼は神について何も語らなかった。その後も誰に語る事もなかった。

われらの時代・男だけの世界: ヘミングウェイ全短編 (新潮文庫)

われらの時代・男だけの世界: ヘミングウェイ全短編 (新潮文庫)

ベンジャミン・フランクリン「フランクリン自伝」

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

こんな読後の感想は何か妙に思うが、この本を子供の頃に読んでおけば良かったという感想と、いや読まずにおいて良かったという両方の感想を持った。つまり凄く強い影響力を持つ本のように僕には感じられ、二十代最後の年を謳歌している自分にもそれなりに影響を与えてしまうような本だから、感受性豊かな頃に読んでいたら「自分もこんな風に生きなければ駄目だ」とか「こんな風に生きていくなんてまっぴらごめんだ」とか、とにかくそういった強い思い込みを持ってしまったに違いない。その思い込みが良い方向に出てくれれば万々歳だけれど、なんか悪い方向に行っちゃったらとことん行っちゃいそうな、そういうある種のストイックさ、清貧さ、一直線さがこの本には感じられる。
僕は元来ストイックな生き方や勤勉さというのが好きなタイプであるので、フランクリンの生き方には非常に好感を持ったものの、その一方でいわゆる現代的な感覚、という曖昧だが自分の心の中にあるそんな部分と、彼の生き方の間にあるギャップには違和感もおぼえた。あーでも彼の時代に生きた他の人々は本書から察するに、今僕が書いた「現代的感覚」というのは持ち合わせていたように思うから、これを現代的感覚とか呼んでしまうのは多少おかしいか。まあでも生きていくこと、とか生活していくことというものに割り当てるエネルギーは、どう考えても現代人方が少ないであろうと思うから、やっぱり現代的感覚なのかもしれない。
なんかベンジャミンが議論の方法を模索している辺りなんかは思わず「お前は俺か」くらいに思ったりもしたし、その他引用したいなぁと思わせる素晴らしい箇所がたくさんあったのだけれど、基本的には名著だと思うので、気になった方には是非自分で購入して読んでもらいたし。軍事の話が出てくるあたりからはあまり面白くないと感じた。あとあれだ、酒に溺れるのだけはやめよう、と思った(笑)

やっぱり本を読もうと決めた

技術の勉強に当てる時間を増やす事を目的として、「今年は読書しないんだ」とこのエントリで誓ってから半年以上過ぎたが、やっぱり本を読もうと決めた。どうにも自分の人生にとって読書というのは避けられない程に大切なものとなってきている。読む本の選択には慎重を期したいと思っているけれど、どんな本が自分の血となり骨となるか、そんなことは誰にも分からないので、大胆にいつも読まない様な路線の本を選ぶ事も忘れないようにしたい。